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8-6

Category: JOY  

 駅まで車で送るという佐々木社長の申し出を断り、暇の挨拶をして母が病室を出て、浅井が玄関まで見送るために後を追った。
 なにか声を掛けようと思うのだが、無言でさっさと歩く母の様子がそれを拒絶しているようでやはり浅井も口を噤む。エレベータまでずっと無言で、その扉が開いて中に乗り込み密室に二人きりになったところで、母が一つ息を吐くように鼻で笑った。
 浅井がびくりと目を向けると、横にたつ母は唇の片方を上げたまま低い声で呟いた。

「……まさか、社長の姪に刺されたなんて」
 鼻で笑って、そう言った。

 耳を疑った。目を疑った。
 つい何時間か前に自分を襲った衝撃と痛みを、さらに今この場でも終わっていない騒動を、こんなにも軽くあしらうなんて。全く予想していなかった言葉だったのでまず頭が意味を理解しなかった。ただ笑われたことに衝撃を受けていた。そんな浅井の様子に気付きもせずに母が笑ったまま続けた。

「だいたい姪を事務員に雇ってるなんて、ずいぶん小さな会社なのね。家族経営とは聞いてなかったけど」

 ああ、会社を馬鹿にしているのかとやっと気付く。
 たった今浅井を全力でフォローすると約束してくれた社長を罵っているのだと気付く。

「それに、寝ていた彼氏。顔も見えなかったけど、あそこにいた若い子と同じくらいなんでしょ?あんな若い子をよく取り合ったわね。いい年して」

 そして、大沢を嘲笑した。刺されて怪我をした大沢と浅井の二人を嘲笑した。
 母がこれだけ言い終わると、エレベータは一階に到着した。

「でもまぁ、おかげで大ごとにならなくて済んだのかもね。これが大きい会社だったらもっと面倒になってたでしょうよ」
 やはり笑ったまま軽い調子でそう言いながら、開いた扉から足を踏み出す。
 浅井も大きくため息をついて、後に続いた。


 何も変わってない。
 さっき見えたような気がしていた希望のような物は幻だった。
 望む光なんか何もない。

 分かっていたことなのに。
 変わるはずなんかないのに。
 何度裏切られても私は学習しない。

 浅井は、もう横を歩かずに後ろからその背に訴えた。

「……どこの会社だってほぼ家族経営よ。規模なんか関係ない。リスクマネージメントのための形態であってそれが事件の原因になんてなり得ない」
 あの時だって、事故の大きさにも私の怪我にも目もくれなかった。
「たとえ小さな会社だとしても、その代表である佐々木社長がただの一社員の私にあれほど気遣ってくれたからこそ、大ごとにならなかったのよ」
 先輩のことも、罵っただけ。悼む言葉の一つもなかった。私の身体を気遣う言葉もなかった。
「それに。あんな若い子って言うけど、大沢君は確かに私よりも年下だけど、」
 10年経っても何も変わってない。
「先輩は、今の大沢君よりももっと若かった」
 母がちらりと振り向いたので、続けた。

「先輩は、今の大沢君よりも今の私よりも今の誰よりも若かった。それでも、今の誰よりも強くて優しくて正しかった。私は今でもあの時の先輩に敵わないし今でもあの時の先輩に支えられてる」
 横目で睨むように見詰める母を真っ直ぐ見据えて続けた。
「若かった先輩は今の私よりもずっと大人だった。年齢なんか、関係ない。だってあれから10年も経ったのにお母さん何にも変わってない」
 母が振り向いて立ち止まる。浅井も立ち止まった。
「ずーっと自分のことばっかり。私がどんなに傷付いても誰がどんな怪我しても、自分のことばかりだわ」
 母がしばらく黙り、そしてまた鼻で笑って口を開いた。

「……あんたこそ、変わってないじゃない。親に隠れてこそこそ余計なことして、こんなみっともないことで警察沙汰になって。結局呼び出されるのはこっちなのよ。いい迷惑だわ。それなのにどう?こんなことで呼び出してごめんなさいの一言もないじゃないの」


 親に隠れて。警察沙汰。いい迷惑。ごめんなさいの一言もない。
 母はいつもこうだった。何があっても浅井を責めた。何かが起これば全て浅井のせいにしていた。
 そして以前の浅井はこんな言葉で責められたら萎縮して自責の殻に閉じこもっていた。
 しかし今はもう。
 10年の間でいつの間にか作り上げていた人脈と信頼関係で自信を得ていた。
 今日だけでも様々な人たちから色々な言葉をもらっていた。
 立ち上がって立ち向かっていけるだけの言葉。


 まずは、甲高い声が頭の中に響いた。
『親のくせにそんなこと言うの?そんなの絶対親じゃないよ!』
 次に掠れた低い声。
『俺は君島なんかとまともに怒鳴り合うようなお母さんは、いらないですね』
 そして。

『助かってよかった。そう思っていいのね』
『全然大沢のせいじゃないって!』
『痛い痛いって泣いてもいいんだぞ』
『怪我は?大丈夫?』
『浅井さん辞めさせるなら俺と加藤の持ち株放出するわ』
『君に辞められると会社が潰れる』

 みんなに心配され励まされ庇われて慰められ必要とされた。
 謝れなんて誰一人言わなかった。
 とてもありがたいことだ。互いに思いやりながら感謝の中で生きていく。その中の一員として生きていける。
 自分自身がそれを当然のこととして与えて与えられる関係の中で対等に生きていける。

 これが、生きるってことじゃないのかな。

 そんなことに思い至り、改めて母を見た。
 改めて母を一人の人間として見てみた。赤の他人として。
 そして自分と母を外から見てみた。

 例えばその柱の横で、怪我をして肩に包帯を巻いている娘に向かって、呼び出されていい迷惑だわと母親が怒鳴っていたら。
 そんなシーンを目の前で見させられたら、びっくりする。
 もし娘がごめんなさいと泣いていたら、あなたは謝る必要ないと声を掛けるかも知れない。母親には怪我した娘の心配をするのが先でしょうと注意するかも知れない。

 そんなふうに見える関係なのだ。
 外から見た私たちは、そんな母子なのだ。
 そりゃ君島君もあんなこと言っちゃうわ。
 10年も離れていたっていうのに私はいまだに母に支配されていた。

 どうして気付かなかったんだろう。
 あなたは悪くないと何度言われても心の底ではわかっていなかった。
 きっと私はまだ殻の中にいたのだ。

 10年よりももっと前に先輩に言われてたのに。
 逃げるな、そっちに行くなって。
 先輩。
 私まだ全然先輩に敵わない。



「……ごめんなさいなんて言わないけど」
 少し笑って呟いた。
「急だったのにわざわざ来てくれてありがとう。近くないのに大変だったわよね」
 母の顔も見ずに続ける。
「今後は迷惑掛けないようにしっかり暮らしていく」
 笑顔を作ったまま顔を上げた。
「何にも心配しなくていいから。これからはもう何があっても連絡が行かないようにきちんとする」
 そう言って晴れやかに笑い頷くと、母もまだ顔を顰めたまま小さく頷いた。
「そうしてもらえるとありがたいわね」

 半ば決別の言葉のつもりだった。浅井にとっては。
 もう何も期待しない。自分のことを知ってもらおうなんて思わない。愛してもらわなくても構わない。
 怒りの気持ちも惜しむ気持ちももうない。
 これでさよなら。二度と会わなくても構わない。
 そう言ったつもりだった。母もそれを了承したのだと思った。

 ところが。
 母は真逆のことを言い出した。

「それはそうと、あんたももういい年なんだからもしさっきの彼氏と結婚するって言うなら、一度家に連れてきなさいね。お父さんとお兄ちゃんにまず会わせるのが筋だから」

 浅井はびっくりして顔を上げ、作った笑顔を消して母を凝視した。

「だいたいお兄ちゃんももう30越えたって言うのに彼女の一人もできなくて。親戚中で子供が結婚もしてない孫もいないなんてうちだけなのよ。ほんとに肩身が狭いったら」

 母が顔を顰めてため息をついている。

「身を固めるなら早い方がいいわよ、特に女はね。どうしてもって言うなら私は反対しないから。またそのうち連絡しなさい」

 そう言って、母が踵を返した。
 浅井は返事もできずあっけにとられたままその姿を見送った。

 決別したつもりだったのに、結婚を許可され、挨拶に来いと言われた。
 ちょっと待って結婚なんて私考えてないのに。だいたい大沢君とは昨日今日の付き合いなのに。
 どういうこと?

 と、呆然と立ち竦む間に母はドア前に停まっていたタクシーに乗り込んで走り出してしまった。

 どういうこと。
 って、今言ってたじゃない。
 肩身が狭いから。だから結婚して欲しいだけ。
 先輩を罵ったあの口で、結婚は反対しないだって。
 同じ理由で。
 みっともないことをしたと先輩を罵って、肩身が狭いから大沢君との結婚を許す。

 何にも変わってない。
 お母さんは変わってない。
 お母さんの周囲が変わっただけ。


 浅井は天井を見上げて大きく息をついた。


 お母さんってこんなに自分の考えを持たない人だったんだ。
 評価基準が自分の中になくて、周囲からどう見えるかが何より大切。周囲に合わせることとそこから少し上に行くことが全て。子供はそのための道具。
 時間が経って周囲が変われば、その価値基準も動く。

 元々こういう人だったのに、最初からこれだけの人だったのに、私は何が怖かったんだろう。
 お母さんはこんなにも器の小さな人だった。


 なんだか今日一日で自分の中身が入れ替わったみたいにたくさんのことが変わった。
 自分自身が追いつけない。


 またため息をついて浅井も踵を返す。
 とにかく大沢の病室に戻ろうとエレベーターに向かう。
 するとその扉の前に見覚えのある後ろ姿を見つけた。またしても予想外の人物。
「……加藤社長」
 浅井が声を掛けると振り向いたが、顔を顰めたまま返事をした。

「誰?」



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