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 お父さんの病室に戻り、手術中はお母さんが待機することを伝え保険の証券を渡し、頑張ってねと言い残して出てきた。お父さんからは、はいはいと適当な返事が返ってきた。
 娘たちにも明日手術でお母さんが付き添い来週早々には退院する予定とメッセージを送ると、
『入院一ヶ月って言ってなかったー?そんなに長く入っていたいわけー?絶対美人看護師のいる病棟なんでしょー!』
 とピンポイントで真実を言い当てられた。

 病院を出て家路を戻る。再度秋の街を走り出すけれど、気分は上がらないまま。
 正直、お父さんの心配はしていない。今日の元気な様子と医師の太鼓判と美人看護師の存在が心配要素を吹き飛ばして余りあるから。
 それよりも、今現在どんよりと沈んでいるお母さんが心配だ。心配というより可哀想。可哀想というか申し訳ない。僕のお父さんのせいで。

「もう3時なのね。今から帰っても、……何もできないわね。晩ご飯の準備をして、夜にまた片付け物ね」
 外の景色を眺めながら諦めたようにお母さんが笑う。
 せっかく気付いた街路樹の秋色ももう目に入らないようだ。僕のお父さんのせいで。

 そんなくすんだ秋色の街に、突然派手な黄色い大きな看板が現れた。
『秋のスウィーツフェア開催中!ハロウィンSP!』
 信号で止まった交差点の向こう側。
 横を見ると、お母さんもその広告看板に釘付けだ。

 秋のスウィーツ。そんな言葉でほんの少し気持ちが解ける。
 甘い物を食べようか。こんな気分のまま帰ってこんな気分のまま明日もこの道を往復するなんて憂鬱でしかない。どうせ今日はもう何もできないんだから、無駄に過ごそうか。

「寄ろうか?」
 そう誘うと、お母さんは顔を向けてにこりと笑った。
 決定!

 その看板を通り過ぎレンガの壁をぐるりと回って地下駐車場に滑り込む。初めて入るけどこの街では一番大きなホテル。エレガントなエントランスを抜けてエレベーターで最上階レストランへ。もちろん全体がハロウィンの飾り付けの中、シックなカフェに入るがやはりハロウィンSP。オレンジから焦げ茶色へのグラデーションに満ちた店内で、栗とかぼちゃのスウィーツ祭り。お薦めアラカルトを頼むと、ワンプレートに手の込んだ小さなお菓子がずらりと並んでいて、色合いが暗いのに賑やかで、不気味なのに可愛くて、甘いのに苦くて、変に愉快な気持ちになった。

「日本の秋とは色合いも味わいも違うわよね」
「そう?もうハロウィンも定着しちゃったよね」
「そうね。きっと和風に進化してるのよね。本家のハロウィンとは違ってるんでしょ?」
「そうだろうね。そもそもハロウィンってなんだろう?」
「かぼちゃ収穫祭?」
「豊作祭みたいなもの?」
「でもかぼちゃの季節って夏よね」
「え?」
「夏に遠藤先生にいただいたじゃない」
「そういえばそうか」
「黒猫ちゃん、まだ名前決まらないの?」
「先生、クロとかネコとか適当に呼んでる」
 先生の猫の話をすると、お母さんはいつも笑う。

 ずっとこんな話をしながらいつまでもここにいられたらいいのに。甘い物だけじゃなくワインでも飲めたらいいのに。ここに泊まるんだったらお酒も飲めるのにな、と宿泊案内のちらしを手にして見てみる。
 そこにちょっとした発見。

「お母さん。ここのホテル階毎に違うメーカーのベッド入れてるよ」
「え?そうなの?」
「ベッド見たいって言ってなかった?」
「見たいの。あそこのある?アメリカのメーカー」
「あるよ。家具屋さんになかったイギリスのベッドもあるよ」
「あ、このマットレス気になってたの」
「CMでやってるやつだね。これ試せないかなぁ?」
「試す?」
「こんなに色々ベッド入れてるんだから、そんなサービスあってもいいよね。訊いてみようよ」
「え?何を?」
「ベッド選びの参考にマットレスお試しルームとかあるかも知れないし」
「あるかしら?」


 なかった。フロントまで降りていって訊いてみたが、同年代のフロントマンに半笑いで謝られた。
「お試しルームは残念ながらございません。ただこの時間ですとデイユースで格安にご利用頂けますので、ベッド選びを目的として来られるお客様もわりあいいらっしゃいますよ」
「そうか。デイユース。そうしようか?」
 振り向いてお母さんに訊くと頷いたので、どのベッドにしようかと空室状況も見ながら相談して、やはり気になっていたCMのマットレスの部屋を用意してもらうことにした。

「第一希望がアメリカのメーカーで、第二希望が国産のベッド。次にあのマットレスが気になってたのよ」
「今日見に行く予定だった?」
「ううん。あのマットレスを置いてるお店って中々なくて」
「じゃあちょうどよかった!」
「そうね」

 という目的で、部屋を取ったのだ。本当に本当にそれだけだった。話しながらエスカレーターを降りて廊下を歩き、ドアを開けて部屋に入るまでは本当にそれだけだった。
 部屋に入り何歩か進み、整えられたツインのベッドが目に入り、ベッドだ、と初めてそれを認識した。

 お母さんが窓側の方のベッドに回り、布団の上から両手で押してみたりしている。そして重なっている枕を持ち上げて並べてまた押してみたりして、そして布団を捲ってみたりしている。そしてマットレスを確かめるように腰掛けてさらに両手で押している。
「案外硬いわ。座るにはちょうどいい感じかも知れないわね」
 マットレスを押える手を見ながら論評して、次に上半身をふわりと倒す。
「硬い。これで朝まで寝て身体痛くならないかしら?」
 そんなことを言っているお母さんの横に僕も腰掛ける。
「うん。思ったより硬いね」
「そうでしょ?」
「僕はこのぐらいの方がいいかも」
 そう言いながら、横になって天井を見上げるお母さんに被さるようにしてベッドに両手をつく。
「あまり沈むのは好きじゃない」
 僕の腕の下でお母さんが僕を真っ直ぐ見上げる。
 それから両腕で抱きしめる。するとお母さんが笑った。
「あなたの体重分は沈んでるわ」
「そう?僕重い?」
「重いわ」
「そっか」

 そして身体を離し横に寝て、今度は体重を掛けずに抱き直す。肩を撫でるようにしてジャケットを脱がせ、シャツの裾から手を差し込んで背中を這わせて下着を外す。唇を啄みながら少し強引にその素肌を晒していく。同時にお母さんも僕の服を次々と脱がせていく。

 日が落ちるのが早くなったせいで、もうすぐ室内灯が必要になりそうな空の色。
 外の景色より窓に掛かるレースのカーテンの方が白く、それよりも暗い室内で腕に抱く肌の方が白い。その肌に点々と赤い印を付けていく。

 本当にこんなつもりはなく部屋を取ったのだけれど、こんなことになってしまった。
 ベッドの上で重なってしまえばキスしてしまうし触れてしまうし脱がせてしまうし脱いでしまうし肌を求めて快楽を求めてしまう。そういうことを忘れていた。

 実はずっと忙しくてお母さんとデートなんて何ヶ月もご無沙汰だったし今後も当分ないだろうと思っていた。少なくとも年内は無理だと思っていた。当然今日もそんなつもりはなかった。ついさっきまでそんなつもりじゃなかった。

 だからすっかり忘れていた。
 忘れていた肌のぬくもりに触れるだけで、忘れていた細い腕に抱かれる感触だけで、まるで酔うように痺れる。
 忘れていた欲望が快楽に遅れてくる。
 もっと欲しいのに、保たない。
 僕は動かずにお母さんの腕を掴んだまま、だめだよ、と頼むように諫めた。
 お母さんも堪えるように息を止めて身体を強張らせたけど、すぐに首を振ってダメと声を出さずに口にして、目をぎゅっと閉じた。
 お母さんがだめなら、僕もだめだ。諦めて白い身体を両腕で抱きしめて耳元で最後の泣き声を聞く。
 僕たちは一つになったばかりで、あっという間に終わった。



 終わった後も離れられない。
 なにしろまた当分、こんな機会は訪れないから。少なくとも年内は。
 でも忘れていた欲望を思い出してしまった。思い出してしまった以上、甘い誘惑が頭の中で渦を巻く。
 今日はここに泊まってしまおうか。明日お母さんはここからお父さんの付き添いに行けばいいし僕はここから出勤したらいい。子供たちもみんなもう子供じゃないんだから一晩くらい過ごせるはず。

 なんて。
 できるはずもない。

「暗くなってきたわね」
 そう呟いて、お母さんが起き上がる。そんなお母さんをまた押し倒す勇気もない。実際に窓の外はもう暗くなってきているのだ。帰らなければ子供たちに怪しまれる。
「……明日も帰りはこんな時間になるのかしら」
 続けてそう呟いた。僕はまだ起き上がらずに返事をする。
「そうだろうね。半端な時間だね」
「しょうがないわ」
 お母さんは少し笑ってベッドを降り、脱ぎ散らかした服を拾って身に着けていく。

 しょうがない。
 今日はもう帰らなければ。
 そして明日もお母さんはこんな時間に解放される。一日の終わりかけのこんな時間から自由になったところで明日も時間を無駄にすることになる。
 今日のように、明日も。

 ……今日のように、明日も。
 明日。明日は。
 明日のスケジュールは。

 ふと思い付き、急いでベッドを降りてバッグからスマホを取り出して明日の予定を開く。

「……午後から、社内会議、T社打ち合わせ工場長同行、帰社後デスクワーク」

 イケる。

「明日午後から仕事で隣の市の会社に行く」
 スマホを見たまま呟いた。
「そう」
「夕方には会社に戻って仕事の続きがあるけど、夕食の時間を先にする」
「……そう?」
「明日、夕方、ここで待ち合わせしよう」
「え?」
「打ち合わせは夕方前には終わるから、工場長には先に戻ってもらって僕は途中でここに寄る」
「え?明日?夕方?」
「うん」
「大丈夫なの?」
「大丈夫」
 そしてお母さんを見た。

「明日は、違うベッドを試そう」
 僕がそう提案すると、お母さんはふふと笑った。

「私やっぱりこのマットレスより第一希望のアメリカ製がいいような気がするの。でも国産のベッドも気になるの」
「どっちも試したらいいよ」
「ここで?」
「全部の種類試そうか」
「嘘」
「食事も持ち込んで」
 お母さんが楽しそうに笑う。


 毎日忙しくて時間なんか全然無いんだけど、しょうがない時はどうしようもなく時間を割かれる。今日のように。
 お父さんのお見舞いとか付き添いとかでしょうがなく時間は割かれる。
 というわけで、割かれる時間は作ればいい。後でできることは後回しにしたらいい。明日できることは今日しない。

 おかげで今日は僕たちの何ヶ月ぶりかのデート。
 明日は何年ぶりかの連日デート。
 明後日はどうしよう?



 災い転じて、秋のランデブー。





   終わり




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