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9-1

Category: INFINI  

 空港から家に戻り、父は健介と君島を下ろしてそのまま出勤し、君島は午後の出勤なのでそれまで寝ると二階に上がった。
 話は夜だ、外出するなよと二人に念を押された。一応頷いて、健介も自室に引っ込んだ。


 ベッドに転がり慣れた柔らかい布団をぎゅっと抱いて、やっとほっとする。
 慣れた匂いのする自分のベッドがずいぶん久しぶりのような気がして、そんなはずないよねと思い返してみると、ほぼ丸一日ぶり。あまりに色々あったからずいぶん時間が経ったような気がするけれど、一日しか経っていない。
 空港に行く前は広瀬のところにいた。その前は朱鷺の部屋にいた。その前は堤の家にいた。その前にここに、家にいて、朱鷺にキスした。
 あれが、ちょうど丸一日前。

 たった一日で色々なことが崩れた。
 何から思い出せばいいのかわからないぐらいに何もかも壊れた。
 何を思い出せばいい。

 朱鷺ちゃん。
 朱鷺ちゃんと一緒にいたかっただけなのに。そんなことも叶わない。

 そのために広瀬を抱いたのに。
 その広瀬は堤を擁護するために僕に抱かれた。
 僕を欺していた堤のために。

 欺していたのは堤だけじゃない。
 朱鷺ちゃんも。
 朱鷺ちゃんが好きなのは父さんだった。

 僕は父さんには敵わないのに。

 何もかも、めちゃくちゃに壊れた。
 違う。
 何もなかったことに、自分が本当に何も持っていなかったことに、本当に気付いた。
 本当に本当に、何も持ってなかった。

 僕には何もない。

 親友だと思っていた堤は陰で僕を嗤っていた。
 そんな僕だって、その気もないのに広瀬を抱いて利用した。
 だいたい、そんな気なんて持てるはずがなかった。僕は女の人を好きになれないから。

 お母さんを信用できない、だから女の人を信用できない、だから、女の人を好きになれない。
 そんな自分の心の奥底を知ってしまった。

 だからきっと朱鷺ちゃんが好きになった。
 それなのに朱鷺ちゃんは父さんが好きだ。
 僕は父さんに敵わないのに。

 またそこに戻る。

 何もないのに。何も持ってないのに。欲しいのは朱鷺ちゃんだけなのに。それすら手が届かない。
 どうせ僕は父さんに敵わない。それでも、傍にいるだけでいいのに。
 朱鷺ちゃんが父さんを好きでも、例えば僕は二番目だとしても、三番目だとしても、何番だって傍に居られればそれでいいのに。

 それなのに遠くに行ってしまった。

 僕の望みは叶わない。


 そしてどうせこのまま春になり大学生になりなにもなかったように学校に通うんだ。朱鷺ちゃんのいない街で。

 そう思った途端、涙がぼろぼろと溢れて頬を流れて布団に染み込んでいった。
 びっくりして身体を起こすと、流れた涙が顔を伝って顎から脚に落ちた。

 昨日から散々泣いてるのに涙が全然涸れない。きっとこのまま春まで泣き続ける。朱鷺ちゃんがいなくなったってメソメソし続ける。
 きっといつまでもいつまでも。
 いつか涙が涸れるまで泣き続ける。


 そんな春を迎えるの?
 このままここで泣き続けて大学生になるの?
 そしてどうなるの?どうにかなるの?泣くばかりの僕になにができるの?



 それなら。



 遠くに行った朱鷺ちゃんのように。
 一人で北に飛んでいった朱鷺ちゃんのように。


 ベッドの上に座って健介は顔を上げた。今度は涙が目尻から落ちる。


 ここで泣き続けて春もやり過ごすくらいなら、僕も飛ぶ。
 朱鷺ちゃんのように飛んでいく。

 朱鷺ちゃんを追って行こう。北に行こう。
 朱鷺ちゃんに会えたらいいけど。無理だろうな。
 それでも、会えなくても探せなくても、北に行く。
 朱鷺ちゃんのように一人で北に行く。

 そう思い付くと、涙が止まった。
 同じことをいつまでも繰り返し後悔して、渦を巻く泥濘みのような煩悶から抜け出せずにいたのに、突然ひょいと引き上げられた気がした。


 朱鷺ちゃんが一人で向かった北海道に、僕も一人で行こう。
 そう決めると、健介の顔に笑みが零れた。



 そうと決めたら、まず何をしたらいい?まずホテル。札幌の。ネットで予約。
 ……とは思ったが、健介は一人旅の経験もなくホテルも飛行機も予約したこともなく札幌に土地勘もなく、昼も過ぎたこの時間から全て上手く手続きする自信がない。
 しかし明日には延ばしたくない。今日の夜に父と君島に説教を食らう予定になっているのだ。その後じゃ絶対挫ける。
 とにかく今日中に脱出しなきゃ。北海道に。札幌じゃなくても、北海道のどこでも。北海道に入ってから考えればいい。北海道と言えば。そういえば、と膝を叩いて立ち上がった。

 急いで父の部屋に行き、閉まっている書棚のガラス戸を開き、目当てのはがきホルダーを引っ張り出す。今年の年賀状の並びにそのハガキがあり、電話番号があった。携帯でその番号に掛けると、すぐに相手が出た。
『はい、熊谷ですー』
 女性の声。ということは奥さんだろうか。
「あ、あの、原田と言います」
 少し緊張してそう言うと、あらまぁ!と相手が高い声を上げた。
『まぁご無沙汰してます!お元気ですか?』
「え、はい、あの、僕、原田って言いましたけど、」
 父に間違われてるようなので慌てて名乗ろうとしたのだが、相手は聞いていない。
『電話なんて珍しいですねぇ!何かありました?』
「えっと、僕あの、」
『原田さんですって。そう?主人と代わりますのでお待ち下さい』
 名乗れないまま慌てているうちに、熊谷が出た。
『おぉ、原田?珍しいな、家電とは。なんかあったか?』
「あっ、あの、僕、」
『僕?』
「は、原田ですけど、僕、その、」
『僕って、原田じゃないな?』
「はい!父さんじゃないです!僕、」
『父さん?じゃあ、健介か?』
「はい!健介です!」
『どうした?原田に何かあったのか?』
「いえ!元気です!父さん健康体です!」
『健康体か。それで?健介から電話なんて初めてじゃないか?』
「はい。あの、僕そっち行っていいですか?」
『え?うち?』
「はい。今日行っていいですか?」
『今日?これから?』
「迷惑ですか?」
『いや、いいけど、今から来れるのか?』
「え?」
『飛行機あるかどうかわかんないし、新幹線でもこれからだと仙台ぐらいで止まるんじゃないか?』
「え!嘘!」
『知らんけど、調べた方がいいぞ。来れるならいつでも来ていいけどな』
「あ!はい!すぐ調べます!」
『うん。で、来るなら俺の携帯に連絡して。この番号健介の携帯なんだろ?今から掛けるから登録して』
「はい。お願いします」
 そう応えて通話を切る頃には自分の部屋に戻っていて荷物をまとめていて、ネットの時刻表を呼び出した頃に熊谷から着信があってその番号を登録した。
 一日一便しかない飛行機にはもう間に合わないので新幹線しかなく、しかも急がないと到着が深夜になるので慌てて駅に向かう。朱鷺が着ていたような真冬仕様のダウンコートを羽織って、適当に着替えを突っ込んだバッグを背負い、スマホと財布をポケットに押し込んで家を飛び出た。
 父の部屋に行き先の証拠を残してしまったことは思い出しもしなかった。



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