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8-3

Category: JOY  

「……もし、栗尾さんが妊娠していたとして、」
 浅井が小さく呟いた。
「絶対違うって!万が一妊娠してるんだとしたって、」
 大声で遮る田村を真っ直ぐ見上げて首を振って、言葉を止めてもらう。
「もし栗尾さんが妊娠しているとして、その相手が大沢君だとしたら、」
 また何か言いたそうに田村が口を開いたが、その目をじっと見詰めて発言させないまま、浅井が続けた。
「栗尾さんは、お腹の子のお父さんを刺したことになるのよね?」
 見詰められた田村が瞬きをして、少しの間考えるように視線を落とし、それから口を閉じて目を開いてゆっくりと深く頷いた。
 浅井は今度は大沢の母に顔を向けた。

「大沢君の言い訳も聞かずに、子供のお父さんを刺したんです」
 大沢の母もその言葉の意味を探すように目を巡らせる。その視線はまだ空を見ていて浅井には向かない。
「お腹の子のお父さんの、大沢君を突然刺したんです」
 そう繰り返すと、彷徨っていた視線がやっと浅井の目に留まった。
 驚いたように浅井を真っ直ぐ見詰めている。


 あの時先輩もこうして私を救ってくれた。


「栗尾さんに大沢君を刺す理由があったとしたって、お腹の子にはお父さんを刺される理由なんかない」
 強張っていた母の表情が、ふわりと解けるように緩み、目に光りが戻った。
「栗尾さんが突然大沢君を刺したんです。それだけです。どんな理由があったって、事実はそれだけです。栗尾さんが大沢君を刺しました」
 そして母がやっと頷いた。


 自責の殻は、弱者の要塞。弱さから出来上がったその哀れな殻は、小さく固まり攻撃される体積もない。
 外の攻撃から身を守るために纏ったその小さな固い要塞は、そしていずれ自身を蝕み病ませる。
 自分の尊厳を踏みにじって作り上げたものだから。


「私も刺された理由はまだ聞いてないです。わからないです。勤務中に突然栗尾さんに刺されました。事実はこれだけです」
 大沢の母を真っ直ぐみつめてそう続けると、また頷いてくれた。

 殻を、でてくれたのかな。

「刺したのは栗尾さんです。加害者は栗尾さんなんです。どんな理由があったって、刺された大沢君は被害者ですから悪いのは栗尾さんです」
「そう、なのね」
 大沢の母がまた頷いてくれた。


 あの時の先輩みたいに、私も殻を破って救うことができたのかも知れない。
 逃げるな、と私を真っ直ぐ見て先輩は言った。自分に逃げるな、と。
 その意味はわからなかった。意味がわからない、とつい考え込んだ時にきつく抱きしめられて、その熱と力できっと殻が溶けた。先輩が壊してくれたから、私は殻を脱することができた。
 でも、あの言葉の意味はずっとわからなかった。今までずっとわからなかった。

 今、やっとわかった。

 逃げるな。自分の殻に逃げるな。その要塞は自分を蝕み痛みつけ最後には殺してしまう。
 そこは安全じゃない。
 逃げるなら俺のところに逃げてこい。俺が守るから。
 先輩はそう言った。


「聡は、怪我させられたのね。刺されたのね。そうね。させた方じゃないのよね」
「はい。大沢君も私も突然一方的に刺されました」
「そうね。浅井さんも、刺されたのよね」
「はい」
「聡と一緒に刺されたのよね」
「一緒というよりは、大沢君は私を庇って刺されました。栗尾さんは私を狙ったようです」
「そうなの?浅井さんが先に刺されたの?」
「そうです」
「まぁ。そこに聡が?」
「そうです。私を庇って前に立ったから、刺されました」
「……そうなの」
 そしてまた母は寝ている大沢の顔を見下ろした。

「そうなの。あなたを庇って刺されたの。あなたを守ったの」
「はい」
「そうなのね」
 そう呟くと母は微笑み、そして涙を零した。
「助かってよかった。そう思っていいのね」
「はい」

 大沢の母がほっとしたように表情を緩めた。やっと大沢が被害者なのだと認めてくれた。
 それが嬉しくて浅井も微笑んだ。



「……まぁ、そりゃそうなんだけどな浅井さん」
 呟く声が聞こえて顔を上げると、社長が怖い顔のまま微笑んでいる。
「あんたはいつでも冷静だな」
 口元は笑んでいるのに、他全部が怖い。なので笑みも怖い。
 きっといけないことを言ったのだと叱られることを覚悟して社長をじっと見詰める。
「あんたも刺されて怪我して血も出て痛いんだろ?痛い痛いって泣いてもいいんだぞ」
「いえ、泣くほど痛くもないので、」
「そうじゃなくて」
 社長がまだ怖い顔のまま笑う。
「さっきあんたが言った通り、大沢もそうだけどあんたもただの被害者で、少しも悪くないんだ。我慢することないだろ」
「我慢……はしてないです」
「だいたいなんか知らんが大沢があんたと他の事務員を二股掛けてたって話なんだろ?」
「だから違うって言ってんだろ!話混ぜっ返すなよ!」
「違っても違わなくてもどっちにしても、浅井さんは完全にとばっちりだろうよ」
「あぁ?……あ、あぁ、まぁ」
 田村息子が矛を収める。
「とりあえずは大沢のとばっちりを受けたんだ。腹いせに頭でも一発殴ってみたらどうだ?」
 社長がそう続けて寝ている大沢を指差した。
「いや、そうだとしたってさ、さすがに殴るのはまずいだろ!」
「そうね!それで気が済むってこともないでしょうけど、よかったら殴って?」
 止める田村に被せるように母も勧める。
 まさかそんな、と浅井が笑って応えた。

「二股なんて、大沢君と話すようになったのもここ最近のことですし、昨日今日の付き合いですから誰と何があったとしても私に責める資格はないんですよ」
「またまたあんたは冷静だな」
「責める資格なんて、怪我してるんだからあるのよ?」
「それでも殴らなくても、」

 全員でがちゃがちゃとベッドの横で騒ぐ中、ぼそりと言葉が聞こえた。

「……ひでぇ……」

「え?」
「……え?」
「誰?」
「何?」

「……ひでぇよ。昨日今日の付き合いとか……」

 大沢の母が、がばっと布団を剥がした。

「聡?起きたの?聡!」
「……はい。たった今」
「おいどんだけ心配したと思ってんだよ!」
「大沢!手も足も全部動くか?指も全部動くのか?」
「あ、動きます。痛みも全然ないです」
「ないわけないだろ!すげー深く刺されてすげー出血したんだぞ!」
「まじで?痛くねーけど俺死ぬの?」
「麻酔が効いてんだよ。切れたら激痛なんだよ」
「まじで!」

 その時社長のポケットの中で携帯が短く音を立て、メッセージを受信したらしくそれを確認して簡単に返した。
 大沢は頭を起こしてぐるりと見回し浅井を探した。
 自分に被さるようにしてベッドに両手を着いている母の横に立っている。頬を紅潮させて少し目を潤ませて胸の前で両手を握って。着ているのがクリーム色の患者服。肩に巻かれた包帯が襟元から見えている。

「……怪我、大丈夫?」
 布団から腕を出して浅井に伸ばす。
 笑って頷いて、浅井が傍に寄ってその手を両手で掴んだ。
「大丈夫。大沢君に庇ってもらったから、軽傷で済んだの」
「本当に?完治する?」
「する。大丈夫。ありがとう」
「うん。よかった」
「今全然痛くないの?」
「うん。痛くないっていうか、何もない感じ。自分の腹じゃないみたい」
「麻酔が切れた時が怖いな」
「脅すなよ田村」
「でも、助かっただけありがたいのよ。痛いぐらい我慢しなさい」
「するけどさ……」


「それで、大沢。どうして刺された?」
 社長がまた怖い顔で訊いてきた。
「……わからないです」
「刺される覚えはないか?」
「ないです」
「何もないか?」
「何一つないです」
「そうか。それならそう言ってやれ」

 会話の途中でノックの音が聞こえていた。
 誰に言ってやればいいんですか?と大沢が訊く前に、ドアが開いた。


 そこには、浅井の会社の社長が立っていた。



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