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7-6

Category: JOY  

 全ては大沢君が回復するまで保留。それが今現在での結論。一度ほっとしたのに、それだけではないことに浅井はすぐ気付いた。
 全てを保留にはできない。


 母がすぐ傍にいる。


 目覚めて痛みに気付いたばかりの自分をただただ一方的に罵った母。10年間忘れていたその声を聞いただけで浅井の身体は硬直した。
 逃げて10年連絡を絶ったことで絶縁できたつもりでいたのにそうじゃなかった。その間もずっと監視下にあったようなものだった。繋がれた縄は切れてはいなかったのだと改めて思い知った。


「……バーテン君」
 しばらく沈黙した後に、小さく呼んだ。
「はい」
 すぐに返事が戻ってくる。もういなくなっているのではないかと思いながら呼んだので、やはりこの子は親切なのだなとほっとした。

「バーテン君のお母さんは、どんな人?」

 訊きたくないのに訊いてしまう。

 自分の母親が一般的な優しく愛情豊かな母親像とは掛け離れているのだと気付いたのは、そんなに昔ではなかった。というよりも、その一般的な母親像というものは虚像なのだと思っていた。ドラマや映画や小説の中にしかいないフィクションでファンタジーだと思っていた。母とは、厳しく意地悪で子供を蔑む存在だと思っていた。浅井は生まれたときからそういう母しか知らなかったから。
 家を離れて呪縛を解かれて社会に出て世間を見て、自分の母の方が特異なのだとやっと気付いた。

 あなたのお母さんはどんな人?そう訊きながらも、答えは予想していた。
 普通ですよ。
 躊躇いなくそう答えられる人が羨ましいのに、訊いてしまう。
 訊かなきゃいいのにバカみたい、と俯いていると、予想外の応えが返ってきた。


「俺、両親いません」


 驚いて顔を上げてバーテンを凝視した。バーテンは相変わらず俯いて廊下の隅に視線を落としている。
 ごめんなさい、失礼なことを訊いてしまって、そのくらいのことを口にすべきなのに、出てこない。
 するとバーテンがちらりと浅井に視線を寄こし、呟いた。


「羨ましいですか?」


 もちろん羨ましい。しかしそんな返事はすべきではない。親がいないことが羨ましいなんて失礼極まりない。こんな場合は何を言ったらいい?そんな躊躇いで返事ができずにいると、バーテンの目が少し笑った。
 笑った?とそれに訝しんで眉を潜めると、バーテンが続けた。


「失礼ながら、俺は君島なんかとまともに怒鳴り合うようなお母さんは、いらないですね」


 それを聞いて、つい吹き出した。
 そしてその失礼な言葉の優しさが胸に沁みた。
 母の辛辣な言葉の数々を聞いていただろうにその非情さ薄情さには触れず、一歩引けば笑い話になるエピソードの枠にはめてくれた。
 そして両親がいないと聞いて言葉を選べずにいる自分に、あなたの母親なら羨ましくないと言った。親のいない自分を羨んでもいいのだと。遠慮も同情もいらないと。
 バーテンはこんな失礼な言葉で慰めてくれているのだ。

 10も年下の男の子。こんなにも強くて優しい。
 赤の他人の方が、家族よりもずっと優しい。
 そういうことも社会に出てから思い知ったことだった。

「……私も、あんな親いらないの。でも、すぐそこにいるのよ」
 笑顔を思い出し、やっと冷静になった。
「逃げても、見つかるからね。なんとかしないとね」
 解決策を見つけた訳じゃないけど、それに向かう気持ちを思いだした。バーテンのおかげで。バーテンにはなぜかいつも助けてもらっている。

「バーテン君は、私の神様ね」
「は?」
 バーテンが怪訝な顔を向けた。
「あなたにはいつも助けてもらってる」
「……別に、君島の部屋に送迎したぐらいですけど」
「そうそう。それで君島君は私の天使なのよ」
「……」
 バーテンは絶句して顔を顰める。
「本当よ。今日二人がここに来てくれなかったら私どうなってたか……って、そういえばどうしてここにいるの?」
「ああ、君島の携帯にあなたの携帯から着信があったそうですよ」
「私の携帯?」
「会社の誰かが勝手に掛けたんでしょう。あなたが病院に運ばれたから、親しい人間に伝えてくれと言われたそうです」
「ああ……」

 携帯には会社の知り合い以外の番号は「秋ちゃん」と登録してある君島のものしかない。

「そう……。それで、バイクで?」
「はい」
「1万円?」
「……2千円」
「安っ!ずるい!」
「……あの時はあなたが勝手に値段を吊り上げたんです」
「そうだけど!君島君は交渉上手なのね」
「しつこいんです。とにかくしつこいんです。俺が根を上げただけです」
 様子が目に浮かんで、浅井は声を上げて笑った。

 久しぶりに笑った。
 前もそんなこと感じたことがあった。
 たしかそれも、バーテン君のことだった。

「本当にありがとう、バーテン君」
「俺の名前は原田だと何度か言ってますが」
「そうね。ありがとう、原田君」
「君島置いていきましょうか?」
「え?あなた一人で帰るってこと?」
「あいつまだあの怖いお母さんを引き止めてるんじゃないですか?」
「あ……。まだやってるのかしら?」
「まぁ、俺がここにいて帰る手段がないですからやってるかも知れません」
「そう。……すごかったな君島君」
「お騒がせしました」
「ううん。私もあんな風に言えたらいいんだけど」
「言えないですか」
「難しい」
「君島の言葉真似したらどうです?」
「真似?」
「そんなの親じゃないよっ!とか言ってましたよね」
 原田が君島の真似をしたので、大笑いした。

「そうね。まずそれね。ありがとう。頑張るわ」
「大変ですね。親がいるのも」
「そうでしょ」

 またね、と原田に手を振った。
 まずは大沢君に会おう。
 浅井はまた走り出した。



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