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8-5

Category: INFINI  

 実は健介は、君島に頭を掻き回されたときに目覚めていた。
 何?誰?と訊く前に声が聞こえた。

「喧嘩でもしたのかしらね?健介君の入学式には記念写真を撮るって楽しみにしてたのに」

 ……朱鷺の母の声。誰かに話し掛けてる。
 え?ここどこ?知らない硬いベッド。全然意味ない薄い布団。それに、朱鷺ちゃんのお母さん?
 起き上がろうとする前に別の声が聞こえた。

「保護者の方でよろしいのですよね?」
 そしてすぐ、はいと父の声が聞こえた。

 父がいる。朱鷺の母がいる。別の誰かがいて、父に保護者か確認している。誰の保護者って、健介しかいない。
 それから、思い出した。
 ここは空港だ。


 朱鷺を追いかけてターミナル駅で自転車を乗り捨て特急で直行して電車を降りてから空港を一気に駆けた。まず国際線のフロアを走り回った。そこで朱鷺を発見できず、そのまま隣の国内線フロアに向かった。ずっと全速力で駆け続けている。
 部を引退してからここまで足を酷使したことがなくて、かなり前から何も飲み食いもしていなくて、広瀬の狭いベッドで僅かに睡眠を取っただけで、健介の身体は悲鳴を上げていた。そんなことに気付かず当人は息を弾ませたまま各社の搭乗カウンターを全部見てから、搭乗検査場を向いた。
 そこに、朱鷺の母がいた。奥に並ぶ検査ゲートに向かって手を振っていた。健介は、反射的に走り出した。
 朱鷺母が手を振っているのは、数機並ぶゲートの真ん中の一台。検査待ちの旅客が数人並んでいる。その横を通り過ぎてゲートを突っ切ろうとした。しかしその瞬間当然周囲に多くいる職員も検査場の奥に立っている警官も一斉に健介の元に集中し、あっという間に捕獲された。昨今の社会情勢に鑑みテロ対策訓練は高頻度で行われている。
 ただの暴走少年である健介は当然訓練の犯人程の抵抗も出来ず捕らえられ、引き摺られた。ただただ泣き叫んでゲートの向こうに手を伸ばしながら。捕らえた職員もこれはテロリストでもなんでもなく駄々をこねて泣いている子供と変わらないのでは?と気付きつつも腕を放さない。突然の捕獲劇に周囲にいる旅客も見送り客も息を呑んで注目している。

 その中で、一人だけ気付かずに検査を終えた荷物を待っている旅客がいた。
 どうやらテロ未遂少年はその旅客に手を伸ばして泣きわめいているので、誰かがその旅客の肩を叩き、振り向かせた。
 そして、やっと朱鷺が振り向いた。
 その振り向いた朱鷺の姿を見て、健介は息を呑んで泣き止んだ。

 あの茶色い長い髪が、ばっさり無くなっていた。君島より短い。父と同じくらいかも知れない。
 それでも、朱鷺だとわかった。

 無造作にバサバサ切ったようできれいに整ってはいない。それでも、その白い卵形の小さな顔が端正で顎のラインがきれいで首が細くて、こんなに綺麗な男を見間違えるはずがない。
 もう季節外れのカーキのダウンコートを着て、季節外れの黒いブーツを履いて、耳には時々着ける赤いルビーのピアス。それがいつもより綺麗だった。髪に隠れず光を反射して、朱鷺を綺麗に飾った。
 髪の短い朱鷺がこんなにも綺麗だとは思わなかった。長い時よりもずっと綺麗だ。いつでも綺麗だったけど。朱鷺はいつでも綺麗で、いつまでも綺麗で、会おうと思えばいつでも会えて、この先もそのはずだった。
 それが無くなったんだと、また思い知らされた。
 いつもよりも美しく変身した朱鷺が、完全に手の届かないところに行ってしまう。屈強な男たちに取り押さえられていて健介は立ち上がることさえできない。もう二度と会えなくなる。僕があんなことしたせいで。しなきゃよかった。朱鷺ちゃんが父さんを好きなら。それでも。それでも。会うって言ったのに。広瀬と付き合ったら会ってくれるって言ったのに。だから僕はさっきまで。朱鷺ちゃんのために僕は。
 行かないで。

 何一つ口にできずただただ涙を零す健介に、朱鷺は笑って手を振るように手話を作った。


『またね』



 その後はもうわからない。気付けばこの硬いベッドの上だ。朱鷺はきっともう機上の人だというのに自分はこんなところに寝ていてその行方すら知らない。もう会えない。もう手が届かない。そんなふうに、健介は誰にも気付かれずに目覚めて、気付かれないまま絶望してまた泣いていた。
 そこにまた声が聞こえた。
「朱鷺ちゃん、どこに行ったんですか?」
 君島の声。
 秋ちゃんまでいる。どうしてだろう。どうしてって、そうか。朱鷺ちゃんのお母さんがきっと呼び出したんだ。まだ泣きながらやっとそれに気付いた。そうか、大ごとにしてしまった。そんな反省も、次の一言で霧散した。

「新千歳行きお一人様ですね、ですって」
「北海道ですか」

 北海道。千歳。札幌。そんな遠くに。そんな寒い所に。北の果てに。
 健介はまた絶望した。

 もう二度と会えない。またねなんて、嘘つき。嘘つき。嘘つき。そんな遠くに行っちゃうなんて。朱鷺ちゃん。
 声も立てず呼吸も変えず健介は誰にも気付かれずに絶望して泣いていた。

 そして気付けば、いつの間にか周囲から人の気配が消えていた。
 恐る恐る頭を上げて見回してみると、何もない白い部屋。その隅にぽつんと置かれたベッドに乗せられている。横にパイプ椅子が二つ。がっちりしたパーテーション。
 その向こうには人の気配があった。椅子のきしむ音とキーボードを打ち込む音といくつかの電子音。
 もう起きなくちゃ、と身体を起こしてまず涙を拭いた。床を見下ろすとスニーカーが揃えてあったのでそれに足を突っ込む。まだ音を立てないようにそろりと歩いて、奥の壁に掛けてあるブルゾンを掴んだ。

 そこで、君島の声が聞こえた。壁の向こうから押し殺したような小さな声。
 ―――母親に、裏切られてるから、
 ―――健介が、あの事件を、
 ―――暴行、被害、


 全てははっきり聞こえない。
 それでも、健介はぞっとした。
 片言のキーワードで、見えてきたから。
 聞きたくない知りたくない気付きたくないのに、健介は壁に耳を押しつけた。


 朱鷺のことだけ考えていればよかったのに。
 どれほど辛くても悲しくても寂しくても、朱鷺のことだけ考えていればよかったのに。

 聞いてはいけないことだという予感はあった。自分のために。
 それなのに聞いてしまった。




「僕の考えすぎならいいんだけど、あの母親のせいで女性不信とか嫌悪とか恐怖とか、健介はどこかに持ってる気がするんだよ」



 その瞬間健介は、両手で顔を覆ってその場に蹲った。
 朱鷺との別れとは違う絶望が降りて来た。



 秋ちゃん。

 秋ちゃん、知ってたんだ。僕は知らなかったのに。

 違う。

 見えてたのに気付かなかった。見えてたのに目を背けた。見えてたのに、見えないことにした。
 だって。


 全部壊れる気がして。

 でももうわかった。気付いた。知ってた。本当は知ってた。




 広瀬を抱いた時に、あの華奢な身体にオーバーラップした白い豊かな肉体。その幻影に気付いた途端に欲が消えた。そこでその幻を振り払って朱鷺の記憶を呼び出して無理矢理終わらせた。

 気付かない振りをした、知らない振りをしたあの白い肉体。あれは健介が生まれて初めて目にした大人の女性の裸体。
 お母さんだった。

 事件の時、事件に至る前に、健介は一度だけお母さんと一緒に入浴した。温かいお風呂の中でその柔らかい肌に触れて抱かれた。
 あの時健介は、お母さんの抱擁が嬉しかったし知らない感触の肌が気持ちよくて幸せだった。
 それがたった一度で、その後まもなく苛烈な事件に引きずり込まれ、健介は被害者としてたった一人で何日もただただ耐えた。お母さんは共犯者としてそんな健介をただ傍観していた。
 実際に殴ったり蹴ったりしたのはあの男だったけれど、母は助ける素振りすら見せなかった。
 男に受けた傷や痛みは時間とともに消えていったのに、母に見捨てられた失望は時間とともに強く深く大きくなっていた。健介も気付かないうちに。


 あれから母には一度も会っていない。会いたいという意思も言葉も何もない。だから、健介の印象を塗り替えることはなかった。


 母とは、
 柔らかい白い肉で僕を抱いて温め油断させて、いずれはらわたを喰う妖怪。

 母。そしてもしかしたら女性一般。



 今まで気付かなかったのに、目を背けていたのに、君島の言葉ではっきりその姿が現れた。
 その姿をもう認めてしまった。

 気付きたくなかったけど、




 僕は母が、


 女性が、


 怖い。






 知らなかったけど、本当は知ってた。





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