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7-4

Category: JOY  

 顔を上げると君島が走り寄ってきた。
「浅井さん、怪我したんだね。大丈夫?もう痛くない?」
 きれいな白い肌の頬を少し紅潮させて、息を弾ませてそう訊いてきた。きっとここまで駆けてきたのだ。心配そうに覗き込むようにして見詰めるその表情で、浅井の張り詰めていた気持ちがすぅっと緩んだ。

 怪我をしたんだ、痛かったんだ、私。
 君島の言葉でそんなことに気付いた。
 初めて怪我を気遣ってもらった。心配してもらった。心配してくれる人が来てくれた。
 それだけで、涙が出そうになった。

 しかし。

「そのくらいの怪我、当たり前だわ。自分のやったことを考えなさい」
 母の声がその涙を押し戻す。

「何言ってるの?誰この人?怪我人の枕元でどうしてわざわざそんなことばかり言ってるの?」
 君島が振り返り諫めるように訊くが、母は睨むようにして言い捨てた。
「私はこの恥ずかしい娘の親ですよ!あなたこそ誰なのよ!」
「恥ずかしいって何?親のくせにそんなこと言うの?そんなの絶対親じゃないよ!」
「親だからこそ言うのよ!あなたは鈴の何?お友達?お友達ならどうして止めなかったの?人様の彼氏を略奪するような真似!」
「人様の彼氏?」
 君島が浅井を振り向いた。
「あの、彼?」
 浅井は反応できなかった。君島には大沢とは別れたと告げたままだった。

「本当に見苦しい。こんなくだらないことで恨みを買って刺されるなんてまともな生活してない証拠だわ」
 吐き捨てるような母の言葉に浅井は身体を竦める。耳を塞ぎたいが既に手遅れで入ってきた言葉は消えていかない。
 そんな浅井の代わりに君島が訊いた。
「恨みを買ってって、浅井さんはあの彼氏の相手に刺されたってこと?」
「そうよ。相手のお嬢さんは妊娠しているそうよ」
「妊娠?」

 君島がまた浅井を振り向いた。
 その気配には気付いたが、浅井はまだ顔を上げられず俯いたまま首を振る。
 それを見て君島はまた母親に顔を向けた。

「浅井さん知らなかったようだし、お嬢さんが妊娠してるならそれを隠してた彼が悪い。浅井さんには全然責任ない」
「知らなかったなんて嘘です。みなさんご存じだったんですってよ。会社の人みんなご存じなことを、なぜ鈴だけ知らないなんてことがあるの?」
 君島が首を傾げたまま母を真っ直ぐ見て応えた。
「浅井さんが知らなかったって言ってるのに、どうして親のあなたが信用しないの?他のみんなの方が信用できるの?」
「あら!あなたは信用するの!この子一人が知らなかったなんてばかげたこと!」
「するよ」
 君島は、浅井の腕を握った。

「あの彼に別に彼女がいて妊娠していて、それを会社の全員が知っていて、浅井さんがたった一人知らないなんて、そっちの方がまともな人間関係じゃない」
 君島の言葉が、胸に染み込んでくる。
「そんな構図、想像するだけでぞっとする。そんな中でそのお嬢さんに刺されたってことだよね?」
 現場にいなかった君島の言葉で、やっと何が起こったのか分かりかけてきた。

 栗尾さんが私を刺したのは、大沢君と付き合っていて妊娠しているのに私が大沢君を寝取ったから。みんなそう思っているから、誰もが栗尾さんに同情して私を詰るのだ。

「何にも知らないのに、誰も教えてくれなくて、いきなりそのお嬢さんに刺されたってことだよね?怖かったね」

 浅井にはただそれだけのことだった。刺される覚えなんかあるはずがない。それを初めて代弁されて、涙が溢れた。
 それを母は鼻で笑った。

「甘ったれるんじゃないわ。泣きたいのはお腹に子供のいるお嬢さんじゃないの!」
「あのねぇ。その泣きたいお嬢さんに刺されてこんな大怪我してるのはあなたの娘じゃないの?それでも刺したお嬢さんに謝れなんて言うの?」
「当たり前じゃないの!刺される原因作ったのは娘なのよ!」
「知らないって言ってるじゃないか」
「知らないなんてそんな言い訳通らないって言ってるの!」
「言い訳なんか言ってない!刺されて怪我してここで包帯巻いてることだけが事実じゃないか!こんな怪我人をよくもそんなに責められるね!どうかしてるよ!」
「どうかしてるよなんて、そっちこなんて失礼な口の利き方?それでも女の子なの?まったくどういう友達なのよ!」
「失礼なのはそっちだろ!僕は女じゃない!」
「……なっ、なんですって?まさか、」
「なにがまさかだよ!勝手に間違えてどっちが失礼だよ!」
「男の子なの?!まぁっ!なんて……!呆れたわ鈴!」
「呆れたのはこっちだ!」


 言い争う二人の声のボリュームが上がりすぎ、怒鳴り声の合間に誰かが廊下を駆けてくる足音が聞こえた。そしてザっとカーテンが開けられ、大柄な看護師がさらに大声で命じた。
「病室で騒がないでください、病棟でもご遠慮ください、喧嘩の続きはどうぞ院外でお願いします」
 その言葉と同時に、二人の腕を掴んで病室から引っ張り出して去った。



 静かな病室に一人、残された。
 浅井はただ呆然としている。

 何か考えなければ、と思っても、何から考えればいいのかがわからない。

 砂利の音、床に広がる黒い染み、肩の痛み、警官が二人、大沢君は重傷、栗尾さんが妊娠、母が来た、君島も来た
 これらの断片が今はなにも繋がらない。

 自分の姿を見下ろす。肩を裂かれたせいで肩と腕に包帯が巻かれて、病院の患者服を着ている。流れた涙に気付いて拳で拭く。

 何もわからない。それでも、逃げたい。母に見つかる場所にはいられない。逃げたい。
 怖い。


 浅井はベッドを降りた。自分の靴が壁際に置いてある。それを履いて、病室の扉を開いた。



 その横に、バーテンが立っていた。




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