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8-4

Category: INFINI  

「熱もありませんし呼吸も安定してますし、睡眠不足と疲労が重なってるだけのようですね」
 年配の女性看護師がにっこり笑った。
「騒いで泣いて疲れて寝たのね。まだ子供なのねぇ、健介君」
 朱鷺の母も笑った。

 何が何だかわからないまま暴走して空港に乗り付け、あることすら知らなかった医務室を探し当ててそのドアを開け、看護師に原田が名乗るとパーテーションの奥に案内された。
 そこの簡易ベッドで健介が薄い布団を被って寝ていた。近付いてみると、すっかり緩んだ無防備な顔で目を閉じている。見るからに熟睡。
 暴走車の中で一度君島に朱鷺母から連絡があり医務室で寝ていて特に何らかの疾患は認められないようだとは聞いていたのだが、いざこの脳天気な寝顔を目にすると少し腹が立ってくる。原田は今日の仕事の予定を全てキャンセルしたのだ。

「朱鷺がね。ちょうど出発の検査場の向こうに行っちゃった所に来たのよ。それで人掻き分けて健介君もゲート潜ろうとして、取り押さえられちゃってね」
 健介の寝顔を覗き込む二人に朱鷺の母が説明を始める。
「ほんっとに、子供みたいにオイオイ泣くのよ。警備の人がたくさん来て捕まえても暴れてね。そのうち泣き止んだと思ったら寝てたの」
 泣いていたという言葉通りに、目の周りが赤く腫れている。
「もうね、何言ってるかさっぱりわからないのよ。とにかく泣き叫んでた。朱鷺の名前は何度も呼んだけどね。でも、朱鷺には聞こえてないわね」

 その様子を想像して君島は胸を痛める。どんなに名前を叫んでもその耳に届かず振り向いてももらえなかったのか。
 そして原田は、同じことを聞いて別のことを考えている。
 出会ったとき、健介はとにかく原田を求めて泣き叫んだ。始めは応じる気のなかった自分をこの子供は執拗に追い回して泣き叫んで結果手に入れた。そして次は、朱鷺を追うんだな。泣いて朱鷺の名を叫ぶんだな。朱鷺は俺のように軍門に降るんだろうか。一体この子供はどこに行くつもりなんだろうな。

 と、二人とも沈黙して返事もなかったので母が続ける。
「それでもね。なぜか朱鷺が一度振り返ったのよ。多分誰かが教えたんでしょうね。それで、健介君に笑って手を振ってね。またねって、手話で」

 その情景が目に浮かび、胸が締め付けられた。互いに傷付いた二人が片方は笑顔で片方は涙で別れる。君島はため息をつき健介の頭を乱暴に掻いた。
 原田は、腕を組んで何度か頷いた。朱鷺は逃げたんだな。距離と時間を置くという手段はこの場合最適かも知れない。などと冷静にそんな考察をしている。

「喧嘩でもしたのかしらね?健介君の入学式には記念写真を撮るって楽しみにしてたのに」

 陽気な母は、仲がいいだけの友人関係が変化し、それぞれの感情が対等に反射せず歪な形になったことを知らない。
 原田と君島も、健介と朱鷺の二人が、その二人を含めた自分たちが、元通りの関係には戻れないだろうという予感を抱きつつも、今はまだその実感を持てずにいる。


 その後しばらく沈黙が続いたところで、看護師が声を掛けてきた。
「保護者の方でよろしいのですよね?」
 原田が振り向いてはいと応えた。
「管理の方でいろいろご確認をいただきたいので、係が来るまで少々お待ちいただけますか?」
「管理?」
 つい問い直す。
「ええ。多少職員と揉み合ったようですから、設備や備品等に損傷があった場合にですね、」
 看護師はそこまで言って、後はお分かりですよね?と口にはせずににっこりと頷いた。
 そりゃそうか、と原田も苦笑して頷いた。

「あら。まだ時間掛かるのね?」
「ああ、後は俺が始末するだけですし、ご面倒お掛けして申し訳なかったです。車で来られてるんですよね?」
 朱鷺母の問いにも速攻で応える。
「そうそう。朱鷺送ってきただけだから。それじゃここで失礼させてもらっていいかしら?」
「はい。本当にありがとうございました」
「あ、妙さん、朱鷺ちゃんどこに行ったんですか?」
 立ち去ろうとする朱鷺母に君島が訊いた。

「朱鷺?内緒ですって」
 振り向いて、少し寂しそうに母が応える。
「全部一人で一晩でネットで手配しちゃって、何も教えてくれなかったのよ」
「そうなんですか」
「何があったか知らないけど、突然あんなに髪切っちゃって。あんなに短いの幼稚園以来よ?幼稚園も1日しか行ってないけどね」
「1日ですか」
「行きたくないって言うから。無理に行くところじゃないものね」
「過保護ですね」
「過保護なのよ」
「それでも、今回一人旅に出すんですね」
「行きたいって言うから。朱鷺が何かやりたいって言うことあまりないのよ」
「そうか。やっぱり過保護なんですね」
「そうね。でもやっぱり心配だものね。チェックインの時聞き耳立ててたのよ。カウンターのお嬢さん、確認するじゃない?」
「確認?」
「新千歳行きお一人様ですね?ですって」
「北海道?」
「せっかく春になってきたのに寒いところに行くみたいよ」
「あんなに髪短くして?」
「どうかしてるわね」
「大丈夫なのかな?」
「何かあったら私がすぐに行くからいいのよ。やりたいことがあるってことが大事なんだから」
「さすがですね妙さん」
「さすがって何?」
「いやもう、さすがです」
 君島が笑った。




 朱鷺の母が去り、原田は施設管理の責任者が来るのを待つために医務室の壁際にあるベンチに腰掛けた。
 君島も健介の傍を離れてパーテーションを閉め、ベンチの原田と反対側の隅に座って俯いたまま話し掛けた。

「北海道なんだね。朱鷺ちゃん、鶴の写真でも撮ってくるのかな」
「写真か。まぁ北海道なら被写体に困らないだろうな」
「気分転換になればいいね」
「うん」

 ベンチは看護師のいるデスクからは離れた場所にあるのだが、それでも君島はその後声のボリュームを落とした。

「……健介が、ここまでとは思わなかった」
「ここまで?」
 依然原田は、さほど息子の心配をしていない。
「朱鷺ちゃんを追ってここまで来るなんて」
「……そんなに遠くもないぞ」
「そういうことじゃないよ」
 相変わらず鈍い原田にやはり腹を立てて顔を上げた。

「……僕は健介に、お前はゲイじゃないよって言ったんだよ」
 原田は特に反論もせず相槌も打たず、ちらりと睨んで先を促す。
「実際今まで彼女もいたようだし、今だって彼女らしき子がいるようだし、そうじゃないはずなんだ」
 その後言い辛そうに君島が目を伏せる。
「そうじゃないんだけど、もしかしたらって思うことがある」
 原田がまたちらりと睨むと、君島は思いがけないことを言い出した。

「……健介は、母親に裏切られているから、それどころか金と引き換えっていう食い物にされたから、こんなところに影響が出てるんじゃないかって、」

 母親?影響?

「健介があの事件を、どこまで知っているのか、どう理解しているのか、はっきりとは分からないし、健介と母親の間にあったことを僕らはほぼ知らないし、」
「母親?暴行働いたのは男の方だけだって健介自身が証言していただろ」
「暴行……みたいに、はっきりした被害じゃなく、」
「被害?身体じゃなく精神的にってことか」
「うん」
「……どんな?」

 君島はまた躊躇ってから首を傾げて呟いた。
「僕の考えすぎならいいんだけど、あの母親のせいで女性不信とか嫌悪とか恐怖とか、健介はどこかに持ってる気がするんだよ」
「……女性不信?そのせいで、朱鷺を追いかけてるってことか?」
「……それだけかどうかはわからない。というかそれがそうなのかもわからない」
「なんだそれ」
「だってあんな母親なんだよ。傷になってないはずがないよ」

 はっ、と息を吐いて、原田は壁に背をもたれた。

「そうだとして、それがどうだって言うんだ。母親のせいで女性不信だとして、そのせいで朱鷺を追いかけてるとして、なにかまずいのか?」
「……なにか、まずいのか?」
 君島は驚いて、つい原田の言葉を繰り返した。
「母親のせいで女性不信になって、それがまずくないとでも言うの?」
「まずいのか?」
 驚く君島を真っ直ぐ見て、原田がまた訊いた。


 母親に裏切られたせいで女性不信になった。それは完全に児童虐待で健全な成長を妨げられた結果だ。
 その仮説の真偽を問われるならまだしも、その仮説自体の価値を問われるとは思いもしなかった。
 君島は本当に驚いて、訊いた。

「君は、それでいいって言うの?」



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