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7-3

Category: JOY  

 また白い天井。
 ベージュのカーテン。
 あの時の夢だろうか。

 目を開いて初めて見えたのがまたその光景。
 ただ夢の割にははっきり見えない、と浅井は眉を潜める。
 メガネをかけていないせいでぼんやりと色が滲む。それでも悪夢で何度となく見ている景色と同じ。

 気付けばベッドの上に横になっていて薄い布団を掛けられている。肘をついて起き上がろうとすると肩に痛みが走りつい手を伸ばす。
 肩の痛み?やはり夢じゃない?ここはどこだろう。どこの病院だろう。どうしてこんなところにいるのだろう。とにかく見えない。眼鏡がない。枕元を手で探り、周囲を見回してサイドテーブルらしき白い固まりが見え、そこに手を伸ばした。

 その時ドアが開く音が聞こえ、カーテンの開く音が聞こえ、誰かが近くに迫ってくる足音が聞こえた。人影は見えるが誰かは分からない。浅井は怯えて腕を引いたが、その人物が代わりにサイドテーブルに手を伸ばして何かを掴み浅井の手にそれを渡した。恐る恐るその輪郭を指で確かめ、眼鏡だと気付いて礼を言いながらすぐに耳に掛けた。

 そして顔を上げてやっと見えたのは、スーツを着た二人の男女。
「県警の佐藤と鈴木です。お話伺ってよろしい?」
 女性が訊いてきた。

 あの時の夢じゃないようだ。あの時は男性警官二人だった。しかし訊かれることはあまり違わない。名前、年齢、住所、職業。ばかみたいな質問。目覚めたばかりの浅井は、事情聴取がいつも見ている悪夢に似ているせいでまだぼんやりと現実に戻れずにいる。
 その寝ぼけた態度が女性警官の気に障ったようで、浅井の返事に被せるように訊いてきた。
「それで?何があったかあなたの口から聞かせてくれる?」

 言葉が馴れ馴れしく高圧的。
 以前の男性警官は、明らかに小娘の自分に対して始終敬語だった。
 女性の方が怖いのだな、と浅井はぼんやり感じている。

「聞こえてます?何があったか、覚えてますよね?」

 何があった?
 一瞬紗が掛かったような事務所の様子が頭に浮かんだ。
 ただそれだけ。浅井は首を振った。

「あなた、怪我されてますよね?これはどうしたの?」

 怪我?
 浅井は顔を上げた。

「肩痛いでしょ?切られたんでしょ?誰に?」

 肩が痛い。そう、さっき肘をついた時にギリっと痛かった。怪我。切られた怪我。誰に?

「会社で。事務所で。切られましたよね?どなたにでした?」

 会社で。事務所で。

 砂利を踏む音
 被さってきた重いもの
 床に広がる黒い染み

 断片の記憶が一度に思い浮かぶ。
 そして、

「……嘘」

 最後に見た、血を流して倒れる大沢の姿が頭にはっきりと蘇った。

 浅井はまた首を振った。
 こんなことが起こるはずがない。やはり悪夢だ。こんなことが何度も起こるはずがない。夢だ。夢だ。
 首を振る度に肩に痛みが走る。こんなこと嘘のはずなのに。痛いなんて。夢じゃないの?また同じことが起こったの?そんなはずない。そんなはずないでしょう?

 浅井は女性警官に縋るように訊いた。

「……お、大沢君、」
「違うわよ。刺したのは別の人。大沢さんはあなたを庇って重傷」
 女性警官があっさり応えた。

 重傷。

 それを聞いて、浅井は手を胸に当てて、大きくため息をついた。
 重傷、ということは命があるということ。

 それだけで。
 悪夢とは全く違うそれだけで、充分だった。

 命があるということだけで浅井には充分だった。

 そこでまた浅井がほっと安心したような顔をしたせいで、また女性警官が腹を立てた。
「あなたを庇って刺されたのよ?どうして嬉しそうな顔をするの?いい気味だとでも思っているの?」
 その言葉に驚いて浅井がまた顔を上げた。
 そしてそんな物言いをする彼女を男性警官が諫め、また改めて聴取を始めた。
「あなたの目から見て何があったかお知らせください」

 しかし浅井は、ほとんど何も見ていない。気付けば自分の肩を裂かれて、脇にカッターナイフを刺された大沢がいた。今思い出せるのはそれだけだ。
「あなたの肩を切りつけたのは誰?」
「わかりません」
「では、大沢さんを刺したのは誰?」
「わかりません」
 女性警官はまた呆れたようにため息をついた。

「目撃者も多数いますし、容疑者も逮捕されてますのでお教えしますが、栗尾萌23才があなた及び大沢聡を突然カッターナイフで切りつけたんです」
 男性警官が教えてくれた。


 容疑者?逮捕?カッターナイフ?
 どの言葉も強くて怖くて、浅井は思わず目を閉じる。

 確かに、あの時横に栗尾が立っていた。
 向かいの席に座っているはずなのに、とあの時一瞬思った。
 栗尾さんが、逮捕?カッターナイフで切りつけた?
 そういえばあの砂利の音。カッターの刃を出し入れする音だった。

「動機は、ご存じですね?」
 また女性警官が訊いてきた。浅井は首を振った。
「切られる覚えはないとでも?」

 責めるような言葉に驚き浅井がまた顔を上げた。佐藤!とまた男性警官が女性警官を諌めた。

「知らない可能性だってあるだろ!お前の感情は抑えろって言うのがわからんか!」

 男性警官は小声で諫めたが、全部聞こえていた。

 しかし、浅井は男性警官の後ろの、カーテンの隙間に、目を奪われていた。


 世界が真っ暗になった気がした。



 グレーのスーツを着た、母が立っていた。




 浅井の視線に気付いて振り向き、母の姿を認めた二人の警官は広げた手帳をバッグに仕舞いながら踵を返した。
「またお話伺いにくるかもしれませんのでよろしく」
 そう挨拶をしてカーテンを開け、そこにいた浅井の母に会釈をした。すると母は深々と頭を下げて、低い声で阿るように言った。

「この度は娘のみっともない不始末にお手を煩わせてしまって、本当に申し訳ありません」

 警官たちが立ち去ってからカーテンを閉め振り返り、母はまた低い声で今度は罵った。

「あんたは何年経っても結局こんな見苦しい真似ばっかりしてうちに恥をかかせるのね」



 鼓動が激しくなり
 呼吸が早くなり
 身体が震えてきた。



 10年振りに連絡があったと思えば
 妊娠している娘さんの彼氏を寝取ったっですって?
 さぞかし簡単だったでしょうよ
 刺されて当たり前だわ
 娘さんがお気の毒
 恥ずかしいと思わないの?
 こんなことで呼び出されて、いい迷惑だわ



 浅井は耳を塞いで首を振る。



 わからない
 わからない
 助けて
 誰か

 先輩
 先輩





 逃げたはずなのに。
 二度と会わずに済むはずだったのに。
 二度とこの声を聞かずに済むはずだったのに。
 二度とその姿を見ずに済むはずだったのに。


 こんなことが起こるのなら


 もう何もいらない。
 何も欲しくない。
 何も見たくない。
 何も聞きたくない。



 消えて無くなりたい。




 浅井はベッドの上で膝を立て、耳を塞いで小さく丸く固まっていた。




 それでもその甲高い大声は、聞こえた。



「誰だよ、そんな鬼のようなこと浅井さんに言ってんのは!」



 カーテンを開けて、オレンジのブルゾンを着た君島が立っていた。



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