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7-2

Category: JOY  

 会議室で部長に辞職の意思を伝えると、部長が慌てた。
「いや、私はそんなことを求めたのでは、それでは、大沢君とは別れないということかね?会社辞めても?」
「いえ、それとは関係ありません」
「じゃあ何だね?大沢君とは別れるんだろう?」
「それも部長には関わりのないことかと思いますが」
「そうではないだろう!それが辞職理由ならそういうことじゃないのかね!」
「辞職理由は、一身上の都合です。長い間お世話になりました」
「一身上……」
「失礼します」
 浅井が一礼して、ドアを開けた。

 事務所を見渡すと、全員が浅井に注目していた。そして全員が一瞬で目を逸らした。栗尾以外。
 しかし浅井もたった今上司に辞職を申し出たばかりで頭の中がそれで埋まっていて、今後のスケジュールをぼんやり考えつつも一週間欠勤した分の仕事も山積みでそれをこなさなければならず、そんな周囲の様子を怪しむ余裕もなく自分の机に戻った。
 席に座りスリープにしたモニターをマウスで起こす。その時向かいの席の栗尾が立ち上がった。

「浅井さん」
 呼びかけられ浅井はモニターを見たまま、はい、と返事をした。

「会社、辞めるんですかぁ?」

 不自然なほど、栗尾はゆっくりはっきりと発音した。
 不気味な気がしてその顔を見上げた。
 少し血の気が無く青く見える肌で睨むように見下ろしながらも、口だけが笑みの形を作っている。

 ああ、この子なんだ、と浅井は納得して小さく頷いた。
 たった今部長に告げたばかりの、部長しか聞いていないはずの自分の決意を、知っている。つまりこの子がそれを要求したということ。

 社長の縁続きの娘さんが大沢君とお付き合いを始めたいとおっしゃっててね、と部長は言っていた。社長と縁続きという話が本当かどうかはわからないが、大沢と別れるように部長に言わせたのは栗尾なのだと浅井は今の一言で気付いた。恐らく栗尾が部長を何らかの手で脅したのだろう。
 そこまでして別れさせたかった。そこまでして大沢君を手に入れたかった。そうだとしても、それを叶えるために上司を使って脅迫させるというやり方がむしろ稚拙で呆れた。こんな相手に言葉が通じる気がしない。
「あなただったのね。部長を利用するなんて、どうかしら?」
 一言だけ釘を刺して、浅井は仕事を続けることにした。栗尾はまだ笑っている。

「浅井さん、辞めるんですよね?」

 栗尾が笑いながら繰り返した。また、ゆっくりはっきり。事務所内は水をうったようにしんと静まり返っている。そこに電話が鳴った。
「あなたに関係ないでしょ?」
 浅井がそう返して、電話を取った。決まり文句の挨拶をしながら、関係ないことはないか、と思い直した。同じ業務なのだから引継ぎをしないといけない。まぁ、後にしよう、と電話に応対した。事務所内のざわつきも戻った。

 そこで、事務所の扉がガンと音を立てて開いた。


 大沢が息を切らせて駆け込んできた。



 大沢の出現で事務所内のざわつきが一段高くなったが、浅井は背を向けて電話に出ていたので気付かなかった。
 その電話を終えようとした時に悲鳴が混じったので、顔を上げた。
 ジャッジャッという、砂利を踏むような音が耳についた。
 横を向くと、栗尾が近づいてきていた。
 浅井さん!と、聞きなれた叫び声がした。

 その声に顔を向けようとした時に、


 肩に、焼けるような痛みが走った。
 直後に大きく重いものが被さってきた。
 背を机に押しつけられて、何も見えず身動きも取れなかった。
 自分に被さるその大きいものからは、慣れた匂いがした。昨日まで一緒だった熱も感じた。
 そしてそれは、徐々に浅井の身体からずり落ちていった。

 その大きい身体の脇腹には、カッターナイフの刃が、全部埋まっていた。


 あっという間に全てのことが起こり、浅井は断片的にしかそれを認識できなかった。




 事務員たちの悲鳴がフロアの中で反響する。
 男性社員たちは声も出せず、動けもしない。
 やっと一人だけ、救急車を呼ばなければと気付き受話器を外したものの、番号が浮かばない。
 事務員たちも、救急車!救急車!と叫んだ。119!119!
 そうか、119か、と社員は震える指を渾身の力で押さえ込み、1を押した。

 悲鳴が途切れない中、最も大声を張り上げているのは栗尾だった。事務員たちに押さえられながらも大声を上げ続けている。
 どうしてこんな女庇うのよ!
 全部この女のせいじゃないの!
 だまされてるのよ大沢君!
 起きてよ!聞いてるの!



 浅井の耳には、何も届いていない。
 目の前に倒れている大沢の姿に時を止められた。
 大沢は椅子に座る浅井の足下で大きな身体を丸めている。

 じきに、脇腹から流れる血が、床に黒い染みを広げていった。

 浅井は椅子から下りてそのまま膝をつき、大沢の側に両手をついた。


 もう、いや
 浅井は首を振った。
 もういやなのに

 浅井もゆっくり、大沢の上に被さった。



 やっと繋がった救急の電話に社員が用件を伝えていた。
「救、救急車、刺されて、男が腹、刺されてて、はい、一人、一人です、警察?まだで、……あっ!!!もう一人!もう一人倒れた!救急車追加!」



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