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7-1

Category: JOY  

 二つの夜を狭いベッドの上で抱き合って眠り、そのまま二つの朝を迎えて日中も一歩も外に出ずに抱き合った。
 一人きりだった10年を埋めるように浅井は大沢の肌を求めた。
 熱い胸に抱かれて、寒かったのだと気付いた。10年間ずっと寒かったのだと初めて気付いた。やっとこの温かさを思い出した。こんなに穏やかな気持ちでいられるのも、初めてだった。
 この気持ちを、この関係を、壊さずにいられるように。
 今度こそ、と浅井は心の中で願った。



 月曜日の出勤のために、大沢は一度は部屋に戻らなければならない。
 日曜日の夜遅くのギリギリまで粘り浅井を抱き、日付が変わる頃にようやく部屋を出た。今日また来るから、仕事終わったらすぐ来るから、と何度も念を押して。

 そして部屋に戻ってから携帯の電源を切っていたことを思い出したが、まだ浅井との時間の余韻を消したくなくてそのまま放っておいた。



 翌朝浅井は久々に出勤した。
 ちょうど一週間の病欠。一応上司にも同僚にも謝ったが、後ろめたい気持ちは全くなかった。そしてその謝られた相手全員、長かった髪をばっさりショートにした上にさらに痩せた様子の浅井に驚いて、一週間の不在の苦情を口にするどころではなかった。
 どうしたの?大丈夫?何があったの?重い病気?等々むしろ心配された。


 その中で驚かなかった人間が一人だけいた。
 栗尾だ。




 もちろん調査員から報告が入っていたから浅井の変身はとっくに知っていた。
 大沢が浅井の部屋に泊まったことも知っていた。
 朝礼の後に浅井が部長に声をかけ会議室に二人で入っていったが、それもどんな話かの予想はついている。大沢と別れなければ辞職に追い込むと部長に脅させたのが、栗尾だからだ。事務員との不倫を社長の耳に入れないこととの交換条件。部長は二つ返事で呑んだ。
 それなのに昨日まで大沢と一緒に二晩いたのなら、部長への返事は一つだろう。
 栗尾は、鼻で笑った。


 困ったおばさんね。





 大沢も出社して、田村とばったり会ったので挨拶すると、睨まれ無視された。不快には思ったが朝は準備に忙しいのでそのまま放っておいた。
 そしていざトラックで出かけようとステップに足を掛けた時に、田村に怒鳴られた。

「大沢!お前、昨日までどこ行ってたんだ!携帯も切って!」
 大沢はあっけにとられてしばらく田村を凝視して、応えた。
「お前に教える必要ねぇだろ」
「ふざけんなよお前!いいかげんにしろ!」
 被せるように田村が叫んだ。

 そんな田村の態度に腹が立ったが、何かあったなというわずかな不安も覚えた。
「何怒ってんだよ?」
 大沢はトラックを降りて、田村に相対した。
 田村は大きくため息をついて睨んだまま、吐き捨てた。
「もうみんな知ってんだぞ。あんまりだろ!」
「……なにが?何言ってんだよ?」
「しらばっくれるなよ!」
「だからはっきり言えよ」
「んなこと言わせんなよ!みっともねぇ!」
「言わねぇとわかんねぇだろ!何だよ一体!」
「どうせ浅井さんのとこに行ってたんだろってことだよ!」
 大沢は口を噤んだ。なぜ知られているんだ?
「ほらみろ!そうなんだろ!少しは栗尾の気持ち考えろよ!」
「あ?」
 大沢が目を見開いた。栗尾?
「あじゃねぇよ!最低だなお前!栗尾の腹に子供がいるんだろ?!」
「ああっ?!」
 大沢が声をひっくり返した。





 ホテルですっぽかされ、探偵に探らせれば大沢は浅井の部屋の前で何時間も座り込んでいたという。
 栗尾のプライドは大きく傷ついた。
 何日も同じ状態だったと言う。
 傷ついたプライドが深く抉れた。
 そして、とうとう浅井の部屋に大沢が入っていったと言う。

 抉れた傷に、狂気が沁みていった。


 ホテルですっぽかされたなんて、嘘。
 嘘。
 嘘。
 だって私今まで、クリスマス一人だったことなんかないのよ?
 狙った男を一度も外したことなんかないのよ?
 だいたい、今までこんなに準備したこともないんだから。
 食事もお酒もホテルも。
 食事もお酒もホテルも、行ったわ。
 全部予定通りだったわ。

 全部予定通りだった。 
 予定通りだった。

 でもクリスマスは、決めてない。

 どうして?

 だって、ちょっと困ったことが発覚したのよね。

 今月、遅れてるの。

 どうしてって、大沢君に訊いて。

 そういうことなの!

 どうしよう。パパとママに何て言おう。
 でも多分祝福してくれると思うの。
 だって私が幸せなんだもの。
 祝福してくれないなら、駆け落ちするわ。
 お腹の子と三人で幸せに暮らすの。

 それなのにあの人は、こういう体の私を避けて、他の女の元に行ってる。
 今が一番大事な時期なのに、こんな思いをさせられるなんて。
 でも大沢君が悪いんじゃない。

 悪いのは、あのおばさん。





「土曜日の飲み会にお前来なかっただろ?栗尾から全部聞いたよ。だからそこにいたやつ全員知ってんだぞ。お前最低だ。栗尾の妊娠知ってから浅井さんのところに入り浸ってるんだってな?なぁ?他の女のところに逃げたって腹はでかくなるだろうよ!」
「待て!何の話だ!」
「だからもういい加減にしろって!お前どうする気なんだよ!」
「どうって何だよ!栗尾?栗尾って何だよ!」
「何だって何だ!付き合ってんだろ?妊娠させたんだろ?」
「知らねーよ!」
「だからもういいから!全部分かってんだから!」
「いや待て!頼むから聞け!栗尾とは付き合ってない!」
「お前そりゃないだろ!孕ましといてそれか!」
「やってない!」
「お前最低!逃げるのかよ!」
「逃げるって何だよ!なんでお前栗尾の話信用してんだよ?俺ずっと浅井さんのとこにいたんだぞ?いつ妊娠するんだよ?」
「昨日今日の話じゃないだろ!何ヶ月も前だろ!」
「いつだよ?妊娠何ヶ月だよ?いつどこで俺が栗尾に仕込んだってんだよ!」
「俺がそんなこと知るかよ!」
「知らねーのになんで栗尾の話を信用してんだよ!何ヶ月も前なんて栗尾だって別の男と付き合ってただろ!」
「……え?」
「えじゃねーだろっ!」
「いや、でも、できたばっかりって、先月ぐらいだろ!」
「俺先月栗尾なんかに会ってねーよ!」
「え?いや、え?まじで?」
「何がまじだよ!もし俺が栗尾と付き合ってたらお前分かってたはずだろ!」
「……そ、それは、隠してたから、」
「隠してたって俺が浅井さんのところに行ってたこと知ってただろ!」
「だって、栗尾が、」

 田村の言葉に背中がぞくりとした。

「え、……あれ、栗尾の嘘なのか?いやだって、泣いてたぞ?まじで悩んでたぞ?他の女子とかもすげー同情して、」
「他の女子?」
「本社の、事務員とか結構いて、」
「……誰も、疑わなかったのかよ?」
「疑わねーよ!腹押えて泣いてんだよ?そんなのを、」
「……まじで?」


 大沢がトラックの鍵を田村に渡した。
「悪い。代わりに現場運転していって。俺あとでバンで合流するから」
「何?お前、」
「本社行く」
 大沢がキーボックスからバンのキーを外して走り去った。
 田村はしばらくそこに立ち尽くして、今の会話を反復していた。そして、何を信じたらいいのかわからなくなっていた。自分自身が一番信じられないと思っていた。



 大沢もバンを運転しながら、田村の話を反復していた。繰り返すたびに恐怖が募った。
 田村でさえ信じてしまう栗尾の嘘を、「そこにいたやつ全員」が信じたとしたら、今浅井さんはその全員に囲まれている。そして当の栗尾がそこにいる。
 それが一番、怖い。

 栗尾は狂っている。浅井さんはきっとそれに勝てない。

 浅井さんは、強くはない。自分はそれを知ったばかりだ。いつでもぎりぎりで一人で立っている。
 もう傷つけたくない。
 間に合うだろうか。
 守れるだろうか。

 大沢はアクセルをベタ踏みした。



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