FC2ブログ


10-4

Category: INFINI  

「うわぁあ!可愛いー!」
 スマホで開いたエナガの画像を見て、思わず声を上げた。
 真っ白い丸の中に、二つの小さな黒い目とその間に三角の小さなクチバシ。「可愛い」を最もシンプルに具現化した形の小鳥。正式名称は「シマエナガ」らしい。
「なにこれ本物?生き物?動くの?鳴くの?」
 奇跡の「可愛い」から目が離せないまま訊くと兄弟が笑った。
「動いてる本物はもっと可愛いよ」
「鳴き声も可愛いよ」
 そう聞いて、ぱっと顔を上げた。
「見たい。絶対見たい」
 健介が真剣に訴えるので兄弟はまた笑った。
「今日はもう吹雪だし無理だけど、近江の婆ちゃんちの辺りでたまに見るからさ」
「そうだなー。あそこで張ってたら来ると思うよ」
「晴れたらスマホ持ってずっと張ってるよ!」
「明日晴れたらいいね」
 兄の方がそう言いながら窓にちらりと視線を送る。まだ日も暮れていないのに薄暗く、風が出てきてさっきまで上から降っていた雪は横に吹き付けていて、少し遠くの景色ももう見えない。
「これが吹雪かぁ……」
 健介が呟くと、兄弟は笑って首を振った。
「こんなもんじゃないよ」


 暖かい家に戻りリビングで兄弟と寛いでいると、キッチンでは奥さんが料理中で匂いと熱が漂ってくる。今日は寒いから鍋にするね、と戻ってきた時に教えてもらった。
 健介の家では鍋が食卓に出ることがあまりない。帰宅時間がバラバラで家族が揃って食事をする機会がほとんどないので、夕食は作り置きが多く鍋を囲むことはない。
 珍しくて新鮮なことばかりで、健介は置いてきた日常を思い出すことが少なくなっていた。神社で朱鷺を思い出しただけで、その後父を思い出しただけで、それすらもすぐに心から離れていった。不思議なほどに落ち着いている。
 もしかしたら時間が必要なだけだったのかも、北海道まで来なくても平気だったのかも、などと不遜なことを思った時、兄弟が声を上げた。

「うわっ!健介兄ちゃん、電話!」
「鳴ってる!てか、震えてる!」
 うっかり電源を入れたせいで着信してスマホが震え、持っていた弟が驚いて床に落とした。間違ってタップされたくない、と慌てて健介が拾う。画面を見ると、堤からの電話。速攻で通話拒否し、速攻で着信拒否設定にした。
 そうか、全部そうしたらいいんだ、と気付き、アドレス帳全ての名前を一気に着信拒否にした。その時に一人一人の名前を目で追い、全部機械的に作業を終えたというのに、あっという間に気持ちが引き戻された。ここに来る前のほんの数日に。

 みんなで集まって笑って話したあの夜、裏切られた後の朱鷺のベッド、早咲きの桜の下で待ち合わせた広瀬、君島と父の喧嘩で知らされた事実。髪を短くしてしまった朱鷺。

 なんにも、終わっていない。終わるはずがない。逃げてきただけなのだから。落ち着くはずがない。
 ただ忘れただけだ。思い出さなかっただけだ。
 なにも、解決してない。

 一瞬でそれを思い出した。そして一瞬で身体が冷えた。
 暖かい室内にいるというのに信じられないほど指先まで冷えた。

 堤からの電話。そうか。卒業旅行。出発なのか。出発したのか。そういえば広瀬は行ったのだろうか。僕が行かないことをみんなどう思ってるんだろう。でも来られたって迷惑だっただろう。
 もう二度とあんな風に笑い合えない。きっと僕はもう友達なんか作れない。仲間たちと楽しく過ごすあんな日々はもう来ない。

 まるで、人生が終わったみたいだ。
 朱鷺ちゃんも失って、僕の人生なんてもう、




「……どうしたの?」
 兄弟に顔を覗き込まれた。
「通信量使い切っちゃった?」
 そう聞かれてつい目を合わせた。
「うちのwi-fi使ったらいいよ」
 心配そうにそう提案されて、頷いた。

 忘れるために、ここに来た。あの日々から引き剥がされたくてここに来た。戻りたくない。今はまだ考えたくない。
 健介は無理矢理笑みを作った。

「ありがとう。じゃあパスワード教えてもらえる?」
「パスワード?」
「パスワード?」
 適当に言ってみただけで、兄弟はネット通信をよく知らないようだ。
「まぁいいや。そんなに使わないし、」
 とスマホを閉じようとしたのに、兄弟はとっくにキッチンに走っていた。
「お母さん、wi-fiのパスワードってどこにある?」
「wi-fiのパスワード?なにそれ?」
「wi-fiのパスワードって何?健介兄ちゃん!」
 と弟が振り返った。面倒なことになっちゃったなと思いながら、
「じゃあ、ルーターはどこにあるかな?」
 と訊くと、
「ルーターって何?」
 ときた。
「ルーターってあれでしょ?ネットの無線の本体」
 包丁を握ったまま振り向いた奥さんがそう応えたが、ちょっと違う。
「本体っていうか中継機で、スマホでIDは探せるんですけどパスワードが無ければ接続できないんです」
「え?どういう意味?」
 ということで、さらに厄介なことになった。

 そんなゴタゴタが発生して、健介はまた置いてきた日常を忘れた。

 ありがたかった。


 モデムはリビングで発見出来たがルーターが見当たらず、兄弟たちが家中探し回り健介も一応借りている客間を覗いてみた。そこで今さら、東京で買って来たお土産をバッグの奥から発見した。慌ててキッチンの奥さんのところに持って行く。
「すみません!僕お土産買ってきてました!みなさんで食べて下さい!」
 そう言って両手で差し出すと、あらまぁと奥さんは笑った。
「それなら仏壇に供えてくれる?その部屋の奥にあるから」
 はい、とリビンクの奥の仏間に行くと、兄弟たちも戻ってきた。
「お供え?」
「うん。東京で買って来た」
「へー。拝んだら食べちゃっていい?」
「いいのかな?」
 そんな会話をしつつ、仏壇に手を合わせてリンを鳴らした。それから仏壇を見上げ、天井近くに並ぶ遺影を眺めた。
「……たくさん、ご先祖様がいるんだね」
 兄弟も見上げた。
「んー。よくわかんない」
「なんか、近い親戚とか遠い親戚とか、写真あったりなかったりするから」
「適当に飾ってる感じ」
「適当って」
 不謹慎ながら笑ってしまう。
「そんな感じだよ。お墓だってそうだし」
「お墓参りに行ったら、他の全部のお墓にも線香供えるんだよ。どうせ知り合いだからって」
「全部のお墓?墓地の?」
「小さい共同墓地だから、本当にみんな知り合いばっかりなんだけどね」
「だからうちのお墓も、行ってなくてもいつも線香ある」
「そうなんだ。付き合いが密接なんだね」
「田舎だからね」
「だからおじさんのお供えも、……」
 弟がそこまで口にして、黙った。
 気になってちらりと目を向けると、どうやら兄に小突かれたようだった。それ以上言うな、と。
 なんだろう?と少し気になったが、もうお供えしたから食べていいよね!と兄がお土産の箱を掴んでキッチンの奥さんに許可を求めに走った。もうすぐご飯なんだからダメ!と叱られていた。


 しばらくして吹雪の中から雪で真っ白になった熊谷が帰ってきた。兄弟が玄関先でルーターの行方を訊くと、雪を払い上着を脱ぎ長靴を脱いで一息ついてから、
「ルーターなら二階の納戸にあるぞ」
 と応えたので兄弟が駆け上がっていった。寒そうな赤い顔で熊谷がストーブの前にしゃがむ。
「こんな吹雪の中でお仕事ですか」
 健介が訊くと、まぁな、と笑った。
「お仕事っつーか、冬はもっぱら会議ばっかり。でも今日は吹雪だから早く締めた方だよ」
「そうなんですね。すごい吹雪ですもんね」
「こんなもんじゃないよ」
 熊谷もそう言って笑った。

 ご飯できたよー、とパスワードあったよー、の声が同時に響き、熊谷と食卓に行くとお祖父さんお祖母さんが先に席に着いていて兄弟も戻ってきた。
「まぁとりあえず飯食うか!ビール取って!」
 熊谷がそう言って席に着き、奥さんが冷蔵庫から缶を二本取り出す。
「もう吹雪だもんね。外出できないし私も飲んじゃう!」
 そう笑いながら一本熊谷に渡し、兄弟たちも席に着いた。
「パスワード後でやろう」
「ご飯の後ね」
「わかった」
「鍋熱いからね。冷まして食べてね」
「何の鍋?タラ?」
「鮭。この前一本もらったから。そのイクラも一腹あるから食べて」
「とりあえずそれでビール一本飲むわ」
「私も-」
 と、夫婦がプルトップに指を掛けようかと言う時に、玄関がガタガタと鳴った。吹雪とは違う音で、その後ガラっと戸の開く音が聞こえた。
「……誰か来た。こんな吹雪に」
 熊谷が呟き、缶を置いた。奥さんは立ち上がって戸を開けて玄関を確かめ、熊谷を振り向いて頷くようにして客が来たと合図をした。誰?と聞きながら熊谷も立ち上がったが奥さんは応えないまま出て行き、熊谷がその後を追った。

「誰だろ?こんな吹雪に」
「帰れなくなるよね?」
「まさか泊まってくのかな?」
 兄弟が鮭を摘まみながら訝しげにぼやく。

 健介の席から、客人の姿がちらりと一瞬だけ見えた。


 ねずみ色のコートを着ていた。



back | menu | next
スポンサーサイト
 


10-3

Category: INFINI  

 泉の声が後ろから聞こえ、健介はしょうがなくゆっくりと振り向いた。
 さっき見事に滑って転んでいた泉は、雪の上に足を投げ出して座り、跳ばしたサンダルを片方手に持っている。
「最悪ー。男に逃げられて、すっころんでんの」
 健介に顔も向けず、口を曲げて笑いながら立ち上がる。
「珍しいよね?内地のお坊ちゃまにはこんな修羅場」
 濡れたジャージの尻を摘まんで舌打ちをする。
「どうせ大地さんの家に戻ってあたしを笑いものにするんでしょ?」
 そう言って、やっと泉は健介を見た。

「羨ましいわー。お坊ちゃまは急に思い立って名古屋からここまで新幹線で来れちゃうんだもんね」
 口元を曲げて笑みを作っているものの、目はまったく笑っていない。
「父さんと喧嘩して?父さんの金でここまで来たんだよね?稼いだこともない子供のくせに」
 泉の目には敵意しかない。言葉にも毒しかない。
「あんたみたいな甘ったれたボンボンには反吐が出るわ。大地さんだって迷惑してるよ?突然来られたってさ」
 口元だけで笑い、蔑んだ目で健介を見て続けた。
「そのくらい気付きなよ。自慢の父さんに迎えに来てもらって帰ったら?内地のお坊ちゃま」
 笑って大声で言い捨て、踵を返した。
 健介は一言も返さなかった。口を開かなかった。


 気にしないでもらえるとありがたい、と熊谷に言われた。
 根は悪いわけじゃない、色々と恵まれてなくて、本気じゃないから適当に、そんな言葉を思い起こしたが、そうじゃなくても返す言葉はなかった。
 泉が言ったことは事実だから。
 稼いだこともない子供の自分が、父さんから逃げたくて父さんの金で父さんの知り合いの家に転がり込んでいる。
 それは事実だ。
 子供の自分には何の力もない。それなのに反抗心だけは一人前で。
 そして結局全部父さんの力で父さんの元を逃げ出した。

 甘ったれのボンボン。
 所詮自分はその程度。
 泉の言ったことには何も間違いはない。

 全部父さんの力だ。全部父さんのものだ。
 このみかんも。
 そしてきっと朱鷺ちゃんも。

 僕には何もない。何の力もない。情けないね。

 健介はため息をついて空を見上げた。




 そのすぐ後、腕を引っ張られた。
 突然だったので驚いて振り向くと、熊谷家の兄弟がバツの悪そうな顔をして立っていた。学校帰りのようで制服の上にダウンジャケットを着ている。

「泉の言うことなんか、気にしなくていいよ」
「うち全然迷惑とか思ってないし。親戚多いから泊まり客だって年中いるんだよ」
 声を重ねるようにして二人が早口で言った。
「先週だって仙台の従兄弟遊びに来てたし」
「父さんの友達だって時々酔っ払って泊まっていくし」
 二人とも必死に健介を庇う言葉を続ける。

 つまり、泉の言葉を聞かれていたのだ。あの毒の言葉を。

「だいたいさ、迷惑っていうなら泉の方がよっぽど迷惑だし!」
「そうだよ。いつだってあんな風だからみんなに嫌われてるし」
「言っちゃうけど、今見てたでしょ?あいつ不倫してんだよ」
「悠!」
「みんな知ってることじゃん!」
「そんなの今関係ないだろ!」
「関係なくないよ!不倫しといてあんな風に威張るなんてさ!」
「関係ないよ。泉なんか不倫してたってしてなくたって威張るよ」

 よく見えなかったけどあのねずみ色の男は不倫相手だったのか……。しかもそれを中学生に知らされるとは、と健介はおののく。

「だいたいさ、泉は僻んでるんだよ。みんなを僻んでるんだよ」
「可哀想って言えば可哀想なんだけど、あんな態度だから全然同情できないし」
「健介兄ちゃんのことも僻んでるよ」
「僕を?」
「今僻んでたっしょ。お父さんのこととか内地のボンボンだとか言って」
「ああ。あれ、僻んでたの?」
「気付かなかったの?」
「うーん。ちょっと本当のところもあったから」
「ないよ!泉の言うことなんか全然真に受けなくてもいいよ!」
「泉の言うことなんか嘘ばっかりなんだから!」

 そこまで罵られると却って泉が気の毒になってくる。

「全然、気にしてないよ。昨日からちょっと変わった人だなって思ってたし」
「変わってるどころじゃないからね。気をつけてね」
「また絶対嫌なこと言ってくるよ」
「わかった。ところで今みかんもらったんだけど、食べる?」
 なんとなく、いつまでも泉の悪口が続くのも辛かったので、手の中のみかんを思い出して言ってみた。手を差し出すと、兄弟はぅえええええ~と喉から低い声を出して後退った。
「……健介兄ちゃん、腐ってるよそれ」
「汁、垂れてるし」
 えぇえええええ!と思わずみかんを落とし、慌てて摘まむようにして拾い、よく見てみるともらった二つの両方とも側面の半分近くが液状化している。
「嫌がらせじゃん、こんなの!泉にもらったの?」
「いや、違うよ。知らないお婆さんにもらった」
 知らないお婆さん??と、二人は声を合わせた。
「あのさぁ、知らない人に物もらっちゃいけないんだよ」
 弟の方が笑ったが、兄の方は後ろの家を見てもしかして、と言った。

「……近江の、婆ちゃん?」
「あ、ああ。近江の婆ちゃんか。そうか」
「この家のお婆ちゃんじゃなかった?」
 兄が後ろの家を指差すので頷くと、やっぱり、と弟と目を合わせた。

「近江の婆ちゃん、ちょっと認知症だからね」
「そんなにひどくないけど、時々忘れっぽかったりね」
「優しい婆ちゃんなんだけどね」
「時々話がわかんなくなる」
「そんなにひどくはないんだけどね」
 二人の声が段々小さくなる。

 何軒もあった廃屋を見たときのような、寂しい気持ちになった。
 わざわざ家に引き返して持って来てくれたみかんなのに、腐っていた。
「美味しいみかんだって言ってたんだよ」
 息子が送ってきたのだと。お父さんにお世話になったからお礼だと。
 それが腐って溶けて液を垂らしている。
 美味しいみかんだったに違いない。ただそれは、きっと何日も前のこと。お婆さんはそれに気付かなかったか忘れてしまった。
 それに気付いたら、お礼に渡したみかんが腐っていたと気付いたら、お婆さんはどんな気持ちになるだろう。優しいお婆さんだからきっと自分を責める。お婆さんは何も悪くないのに。
 お婆さんの暖かい善意が胸に沁みただけに、この悲しさをお婆さんに知られたくない。
「……どうしようこれ?」
 腐ったみかんは持って帰れないし、ここには捨てていけない。優しいお婆さんには見せたくない。

「鳥にやったらいいよ。その辺の木の枝に刺しておけば食べに来るよ」
 健介の呟きに弟がそう応え、みかんを摘まみ半分に割った。
「たまにエナガ見るからね。食べに来るかも」
「エナガ?」
「知らない?ちっちゃい鳥」
「ああ、さっき神社で鳴いてる鳥がいたけどそれかな?」
「どんな?エナガだったらはっきりわかるけど、」
「黒っぽい小鳥でヒーヒー鳴いてた」
「じゃあエナガじゃない。ヒヨドリかなぁ?」
「あいつらうるさいからね。エナガいるとしたらこの辺りだから、その木に刺そう」
「来たら近江の婆ちゃんも喜ぶよ」
 婆ちゃんが喜ぶ、と聞いて健介は安心した。それならきっとこれが一番いい手だ。

「エナガ見たいでしょ?」
「エナガってどんな鳥なの?」
 健介がそう訊くと、兄弟二人で見上げ、スマホ持ってる?と訊いてきた。
 家に置いてきた、と応えると、じゃあ帰ろう!と兄弟が走り出した。
「どうせもうすぐ吹雪になるから迎えに来たんだよ」
「健介兄ちゃんも急いで!」
 振り向いてそう言われたので健介も走り出した。



back | menu | next
 




03  « 2019_04 »  05

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

categories

counter




.