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お父さんが入院しました。



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 とにかく土地が決まってからはあっという間に事が進み、我が家はもうすぐ完成予定。
 結局果維の希望通りに先生の土地に新築することになり、お母さんの希望通りに窓は少なめ小さめ、娘たちの希望通りに外壁は黒、お父さんの希望通りに駐車場も広め、唯一僕の希望だけが通らない。
 通らないというか公表してないのだけれど、お母さんと同室というわけにはいかなかった。壁を挟んで隣の部屋、も諦めた。間違いなくその壁に穴を開けそうだから。そんなものがバレたらどう言い訳したらいいのかわからない。死後発見されでもしたら目も当てられない。
 ただ子供たちは全員二階に部屋を作り、一階には僕とお母さんしかいない。だからと言って何か出来るかというと何もできない。今まで通りにただの継母と継子の関係を貫くだけ。

 それでもやはり新居は楽しみだ。長年住んだ今の部屋を去ることに寂しさは全く覚えないほど楽しみにしている。と言うのも、なぜか新しい部屋のレイアウトが今の部屋とほぼ変わらないから。そんなつもりはなかったのだけれど、設計士と相談しながら部屋の位置ドアの位置窓の位置等を決めていくうちに、ほぼ今の部屋のままになってしまった。ウォークインクローゼットを作るから外に出ている収納が無くなるだけ広くなってシンプルにはなるけど。40年近くこの部屋に住んで、今後も死ぬまで同じレイアウトの部屋に住むことになるようだ。変わり映えしないなぁと思いつつも多分これが落ち着くからこうなってしまったんだろうな。

 なんて感慨に耽るヒマはそうない。やらなきゃならないことが多すぎてなんのヒマもない。休日が潰れることは当然で、平日でものんびりできる夜なんかない。できる限りのことをお母さんがやってくれるけど、できないことも当然多くあって、どうしても僕が時間を融通しなきゃならない。いつになったらこの忙しさは終わるのかとうんざりしている。

 そしてやっと昨日、養生ネットと足場が外れた。
 そして、黒い新築戸建てが姿を現した。

 これで工事が終わりじゃないし僕の繁忙も終わりじゃないけど、一段落付いた気がした。
 久々の道場の帰りに、すっかり暗くなった夜の住宅街でさらに黒い家を果維と一緒に見上げ、ため息をついた。

「一応は、僕たちの城だよね」
「城か。黒だから烏城だ」
「そっか。烏城か」
 そんなくだらない例えでも、疲れ果てている僕たちは笑った。



 今日もみんなで家を見に行って、それから各々新居の準備を進める予定。僕はやっと始めたばかりの荷造りの続きで一日潰れる予定。
 なのだけど、夕べ遅くにお父さんから連絡があって、それをみんなに伝えなきゃならない。
 朝起きて食卓に行くと、みんな席に着いていてすっかり張り切っている。

「昨日足場外れたんだよねー?」
「まだ見てないから楽しみー!」
「かっこいい?黒い家って」
「目立つよ。なんか周りから浮いてる感じ」
「新しい家なんてどんな色でも見慣れないものよ」
「でも黒はかっこいいよねー!楽しみー!」
「あーあー」
「結生も楽しみよねー」
「いつ引っ越せる?予定通り?」
「ちょっと押してるらしいよ」
「年内だったらちょっとぐらい押してもいいけどね」
「そうだね。いくら考えてもまだまだ何か足りない気がするし」
「悩んじゃって全然決定できないし」
「何悩んでるの?」
「本棚。大工さんに作ってもらったやつ。サイズ間違った気がして、自力で修正できるかなって」
「大工さんに頼んだらいいじゃない。勝手口のドアも変えてもらおうと思ってるから頼んであげるわ」
「いいのかな?」
「むしろ大工さんに頼むべき。プロなんだから仕上がりが絶対違うよ」
「そうね」
「そうだね!」
「そうだよ」
「ところで、お父さんが入院したらしいんだよ」
「へー」
「へー」
「今日は家見に行ってからどうするの?」
「私やっぱ家具屋さんに行きたいんだけど」
「ベッドがまだ決まらないのよね」
「ベッドは重要だよね!」
「私そろそろお庭の勉強したいんだけど!」
「お庭はちょっと狭いから工夫がいるわよね」
「でもシンボルツリーは欲しいじゃない?」
「キンモクセイとかジンチョウゲとかいい香りの木がいいなー」
「それでお父さんはどうして入院したの?」

 みんなにスルーされたが、心優しい果維が訊いてくれた。

「心筋梗塞だって」
「心筋梗塞?!」
「遠藤先生の真似?!」
「遠藤先生の真似!」
「救急車で運ばれたの?!」
「いや、健診で指摘されて入院することにしたって」
「なぁーんだ軽症ー!」
「真似するなら救急車で運ばれなきゃー!」
「それならすぐ退院なんじゃないの?」
「いや、一ヶ月入院するって」
「なにそれー!!!」
「怠けてるんじゃないのー?」
「救急車で運ばれた遠藤先生が一週間で退院してるのに!」
「案外重い症状なんじゃない?」
「重くない重くない!」
「うん。重くはないらしい。ただ時間が掛かるみたいで、」
「ほらー!お父さん怠け者だから免疫細胞まで怠け者なんだよ!」
「はたらけ細胞!」
「はたらけ!」

 散々罵られているが、一応提案してみる。

「それで、今日家見に行った後に、お見舞いに行ける?」

「いやよ」
「無理」
「行かない」
「ちょっと急だよね」

 全員に速攻で断られたが、一番最初に拒否したお母さんを窘める。

「あのねお母さん。お父さん何度も電話したらしいよ?着拒してるの?」
 お母さんは口を結んでじっと僕を睨む。
 着拒はしていない、ただ出ないだけ、ということは何度も聞いて知っていた。だいたいお母さんが出なかった場合僕に掛けるのだから特に不便もないのだけれど。
「まぁお見舞いはこんなに大勢で行く必要もないと思うけど、保険の証券が欲しいらしいんだよ」
「証券?」
「入院保険か何か、入ってるんでしょ?長期の入院になるから使いたいみたい」
「入ってたと思うけど、持って行ってなかったかしら?」
 お母さんが首を傾げた。
「証券とかのそういう書類、もう荷造りしちゃった?」
「してないわよ。すぐ出せると思う」
「じゃ、後で出してくれる?」
 渋々お母さんは頷いてそのまま立ち上がったので、僕も席を立って後についていった。

 リビングの奥のドアを開けるとお母さんの部屋。もうずいぶん荷造りが進んでいてダンボールの山。そんな中で、本棚の一列にまだファイルボックスが並んでいる。その一つに手を伸ばした。
「保険関係は全部これに入ってるのよ。あるとしたらここにあるわ」
 そう言いながらその中の書類を机の上に広げる。生命保険や医療保険が家族分。
「保険に限らず重要書類なんかは全部持って行ってると思うんだけど……」
 お母さんが困惑するとおり、僕たちと子供たちの保険書類しかない。
「でもお父さんは持ってないって言ってたよ」
「元々保険に入ってないんじゃないの?」
 書類を確認しながらお母さんが乱暴なことを言い出す。
「そうなのかな?そっちは?」
 隣に同じようなボックスがあったから手を伸ばしてみる。
「それはマンションの家財保険とか車の任意保険。人じゃなく物の保障だけ入れてある」
「ここにはないか」
「ないと思うわよ」
 そう言いつつ一応開いたら、ひらりと封書が落ちてきた。

「……あった」
「お父さん物扱いだったね」
 僕がそう言うとお母さんは笑い出した。



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 朝食を食べ終わりみんなで車で出掛けた。
 新居に近付くと、足場とネットが外れているからその黒い姿がすっきりと見えてきて、車の中で歓声が上がる。
「黒ーい!」
「うわー!かっこいー!」
「あーわー」
「目立つー!」
「本当に黒いのね」
「本当に黒いよ」

 到着して車から降りると木材の匂いが漂い、そんな中でしばらくその黒い姿を見上げた。確かに正直スタイリッシュでかっこいい、と多分八割方欲目のうぬぼれで頷く。
 それから中に入ると木の匂いがさらに強くなり、嬉しくなる。各々の部屋を確認にまわり、僕も自分の部屋に入ってみるけどやはり今の部屋と変わらないレイアウトでなんとなく新鮮味がない。新築だというのに模様替え程度の変化しかない。いいんだけど。
 それから全部の部屋を巡ってみて、完成したら隠れてしまう部分なんかを写真に撮ったりして、柱に抱きついたりして、見学終了。

「この前まで屋根と壁と柱しかなかった感じだったのにね」
「あっという間に部屋が出来てる」
「思ったより狭い感じがするけど、気のせい?」
「物が入ると広くなるよ」
「物が入るのに?」
「なんでだろうね」
 みんなでなんだかうきうきと話を続ける。
「私やっぱクロスはボタニカルに変えてカーテン選ぼうかなぁ」
「カーテン屋さん見に行く?」
「机も見たいし家具屋さんがいいよ」
「そうだよ。あそこの近くにイタリアン出来たじゃない?」
「そこでランチ食べてからカーテン見に行く?」
「いいわね。私もベッドが見たいわ」

「お母さんはだめ」
 しれっと娘たちの予定に挟まっているお母さんを諫めた。
「これからお父さんのところに行くんだから」
 そう言うと、また僕を睨んで小声で歯向かう。
「……証券渡すだけなのよね?和臣君一人でも、」
「僕だけじゃだめなんだ。お母さんに用があるんだって」
「……」
 お母さんはものすごく嫌そうに顔を背けて、ちょうどそこにいた果維も誘う。
「果維も行かない?」
「ごめんね。お昼から星奈ちゃんと約束があるんだ」
 あっさり断られた。

「あーあ、お母さん可哀想ー。イタリアンのランチお預けー」
「私たちもまた今度にするよ。お母さん頑張ってきて!」
「また今度行こう!」
「……いいわよ。あなたたちでランチに行ってらっしゃい。また行けばいいんだから」
「そうだね!」
「そうだね!」
 娘たちは半端な社交辞令を口にしてさらにお母さんを落ち込ませて、新居を後にしてまた家に戻りみんなを下ろして二人でお父さんの病院に向かった。


「……それで、あの人が私に用って何のこと?」
 走り始めてしばらくしてから、お母さんが顔も向けずぼそっと小声で訊いてきた。
「うん。パジャマが欲しいんだって。僕趣味とかサイズとか知らないし。お母さんに訊けってお父さんが」
「私だって知らないわ」
「え?」
 ちょっと驚いて隣のお母さんの顔を覗き込んでしまった。
「あ、そっか。別居して長いからね。サイズなんか昔とは変わってるよね」
 すぐにそう納得して前を向いたけど、それもあっさり否定された。
「元々知らない。あの人の服なんて買ったことないもの。靴下すら買ったことない」
「え!」
 さらにびっくりしたけど、もう危ないので横は向かない。
「だって元々全部一人でやってた人でしょ?それに単身赴任長かったし」
「……そうなんだ、ね」
「だから私に訊かれても困るわ。和臣君の方がわかるんじゃない?サイズはあなたより少し小さい感じ?」
「多分ね。それで、どんなデザインとか素材とかがいいのかな?」
「前開きで綿100%じゃない?」
「どんなデザインがいいのかな」
「無地でいいんじゃない?」
 お母さんがものすごく冷たく投げやりなので、僕はつい笑った。しかしお母さんはまだ冷たい声で訊いてきた。
「でもパジャマって病院でレンタルできるんじゃない?」
「そうなの?」
「だってお洗濯だってしなきゃならないし二着や三着じゃ間に合わないでしょ?」
「それもそうだね。どういうことかな?お父さんに訊いてみて」
「私が?」
 また嫌そうな声を出したので、また笑った。
 そして結局嫌々携帯を取り出して操作して耳に当てる。そして多分ベッドの上でヒマなお父さんはすぐに出た。

「……はい。今向かってます。それで、ええ。聞きましたけど、レンタルがあるんじゃないんですか?どうして?……。……。誰がするんです?……。……。とても忙しいのですが。毎週。来週も。再来週も」
 お母さんの声がものすご――――――く低い。
「今日はたまたま時間が作れましたけど、今後はわかりません。お姉さんも調子が悪い?それならお手間掛けられないんですからレンタルにしたらいいじゃないですか。その方が清潔ですし」
 とてもいたたまれなくなり、停められる場所を探して車を寄せて電話を代わろうとした。しかしハザードを点けた途端に会話が終了した。
「わかりました。3着ほど見繕って持って行きます」
 そしてすぐにぷつりと切った。

「ど、どうなった?」
 恐る恐る訊いてみると、お母さんは無表情に携帯をバッグに片付けながら応えた。
「3着買っていく」
「……来週とか再来週とか言ってたけど、」
「洗濯して持ってこいですって」
「ああ。どうするの?」
「行かないわよ」
「レンタルするって?」
「しないって」
「どうして?」
「あんな年寄りくさいもの着れるか!ですって」
「え?年齢別じゃないよね?」
「そうよ」
「てかお父さん老人だよね?」
「そうよ」
 僕は笑っているけどお母さんは怒っている。

 とりあえず、ご機嫌を取ろうと思った。
「この先にデパートがあるから、そこでパジャマ買ってレストランでランチ食べよう。イタリアンに行きたかったんでしょ?」
「イタリアンはまた今度行くからいいわ」
「ステーキ」
「そんな気分じゃない」
「お寿司」
「それも違う」
「フレンチ」
「んー。違うかなぁ」
「和食懐石」
「……それならいいかな」
 決まった。



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 デパートに到着して紳士服フロアに向かい肌着下着ホームウェアコーナーに行き様々なブランド棚を無視して、機能別パジャマコーナーで「速乾!シワにならない!」と大きく書かれたシールが貼ってあるセットをバサバサと三着選びすぐに精算した。
 そして振り向いてお母さんがやっと笑った。
「さ、ランチ行きましょう!」
 そんな選び方でいいのかなと思ったけど、笑ってるからいいか。

 最上階のレストランフロアを並んで歩き、やっぱりイタリアンにしようかなとかシャトーブリアンフォアグラのせですって!と指差して驚いたり見てるだけでお腹いっぱいになっちゃったからお蕎麦にしましょうかとか、ほぼお母さん一人で話しながらほぼ一周して結局和食懐石ランチに戻った。結構名の知れた老舗のテナントで小さな秋の盆栽が入り口で出迎えてくれた。
 まだ早い時間で混んでもいないけど遅くなると困るからおすすめランチをお願いして窓際の席に着いて下の景色を眺める。
「全然気付かなかったけど、木の葉が秋色になってきてたのね」
 窓の下の街路樹を見下ろしながら頬杖をついてお母さんがそんなことを呟く。
 周りに誰もいなければその顎を持ち上げてキスするところなんだけどなと思いながら、そうだねと応える。
「ずっと忙しくて景色見てる余裕がなかったわ」
 そう言って僕を見て笑った。
 周りに誰もいなかったら引き寄せて抱きしめてるところなんだけどなと思いながら、僕も笑って頷いた。

 やっとお母さんが笑ってくれたからいまさら気付いたけど、久々のデートだ。
 と嬉しくなったけどこの後すぐお父さんのところに行くんだったと思い出してすぐにへこんだ。

 それでもすぐに食事が用意されて、さすがに秋のお薦めで、松茸土瓶蒸しとか焼き秋刀魚とか栗や銀杏の寄せ盛りとか無花果コンポートとか美しく繊細に美味しくて大満足。器も全て美しくて、お母さんも料理の一つ一つを楽しそうに褒めて口にした。
 食べ終えてすっかり気分良く席を立ち、美味しかったねごちそうさまと笑顔で店を出たのに、次に行く場所を思い出した途端にそれが消えた。
 でもこの後すぐお父さんに会うんだからフォローしておかないと、と夕べの電話のことを一つ教えた。
「お父さん昨日、結生の写真が欲しいって言ってたんだよ」
「結生の写真?」
「うん。一番可愛く撮れたやつを送れって」
「……なにそれ?どうして急に結生のことなんて言い出すの?」
「急に可愛くなったんじゃない?」
「どういう意味?あの人子供になんて興味ないじゃない?」
「入院して寂しくなったとか?」
 僕が呑気にそう言うとお母さんが立ち止まった。
「……ねぇまさか、」
「え?」
 僕も立ち止まった。
「新居に同居したいなんて言い出さないわよね?」
「いや、ないと思うよ」
「本当?絶対?」
「多分絶対」
「多分絶対ってどっち?」
「どっちかって言えば絶対寄り」
「本当?」
「絶対」
 最後にはそう言い切った。なぜならお父さんが僕に家を建てろと提案したのは、お母さんとの同居を避けるためだったのだ。
 いまだに女王の店に通っているのかどうかは知らないけれど今さら孫と同居してその成長を楽しみにするいいおじいちゃんになれるはずもないしなりたくもないはず。
 という絶対の理由をお母さんに告げるわけにもいかずにそこで会話を終えた。

 それからはあまり会話も弾まないまま病院に直行。初めて来る総合病院で駐車場にも病棟にも病室にも迷いながら、やっと辿り着いた。お父さんに聞いた部屋番号のドアをノックする。二人部屋のようだけどネームプレートにお父さんの名前しかないので実質個室らしい。返事が聞こえて中に入ってみると、ベッドの上で病人は退屈そうに新聞を広げていた。
「遅かったな。あれ?二人だけか?他の子供たちは来なかったのか?」
 そう顔を上げたお父さんは、全然顔色も悪くなく痩せ細ってもいなく綺麗にヒゲも剃っていて髪も整っている。着ているパジャマは紺色でブランドエンブレムの刺繍が胸元のポケットに施されており、これまですれ違った入院患者が着ていた薄手の水色患者服とは全く違う。なので、まるで病人には見えない。
「……元気そうだね、お父さん」
 ついそう言ってしまい、元気なら入院してない、と叱られた。
 それでどんな具合ですか?とお母さんが訊くと、新聞を畳みながら応えた。
「明日手術だ」
「明日?手術?手術必要なほどだったの?」
 ついびっくりしてそう訊いた。
「手術って言ってもカテーテルだからな。部分麻酔だし歯医者みたいなもんだ」
「そうなの?」
「うん。この年になればみんなやってるよ。大したことじゃない。心配いらないよ」
「そうなんだ」
 結構肝の据わっているお父さんに感心する。
「だから付き添いもいらないが、パジャマだけは洗って交換してもらいたいんだよ」
 ずいぶんしっかりしてるな、と思った。お父さんってこんなに聞き分けのいい人だったんだ。一ヶ月も入院ならもっと我が儘言うんだろうなと多少の覚悟はしていたのでほっとした。洗濯くらいならまだいいのかなと振り向くと、お母さんは怪訝な顔をしている。
「それが買ってきたパジャマか?」
 お母さんの持つ紙袋を見てお父さんが手を伸ばした。
「はい。入院生活に最適な機能の物を選んできました」
 お母さんがそう言いながら紙袋からパジャマのセットを三つ取り出してお父さんの膝元に並べると、その途端眉間にしわを寄せて文句を言い出した。
「なんだこれは?柄がなんにもないのか!しかもこんな安っぽ、」
 まで言ったところで、ドアがノックされて看護師が入ってきた。


「失礼しまーす!お注射の時間でーす!」


 元気な笑顔で大声の看護師。
 若くて色白で目が大きくて口も大きくばっちりフルメイクで結んだ長い茶色の髪はストレート、胸が大きくて腰が細くて脚も細いその看護師さんがにっこり笑うのを見た瞬間に、お父さんはパジャマの文句を引っ込めてニヘラと笑った。

 その緩みきった笑顔を見て、思い出した。



 そうだ。お父さんは面食いで風俗通でSMも嗜む老人だった。
 この入院の目的は、心臓疾患治療だけじゃない。恐らく。



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「あら、息子さんですか?」
「はい。父がお世話になってます」
 派手な美人看護師さんに訊かれて、お母さんと一緒に頭を下げた。
「ご苦労様です。今日はお子さんは?」
「はい?」
「小さなお孫さんがいらっしゃるんですよね?写真見せていただきましたけど」
「あ、ああ。孫」
「可愛い男の子でしたよね?お祖父ちゃんずいぶん自慢してましたよ!」
「……お祖父ちゃん」
「でも小さなお子さんは病院には連れてこない方がいいですもんね。変な病気もらっちゃってもいけないですしね」
 そう言って看護師はにこりとお父さんに笑いかけた。
 そうか。この美人看護師に見せるために夕べ結生の写真が欲しいと言ったのか、このお祖父ちゃんは。

「そうそう。孫は連れてくるなと言っておいたんだよ。変な病気もらうとあれだから」
 他の子供たちは来てないのかと文句言ったくせに、と驚いて振り向くと、いつの間にか布団を被って寝ている。さっきまで起き上がってパジャマに文句をつけていたのに。
「あらぁ。さすがお祖父ちゃん、お優しいですねー」
 美人看護師がにこやかにお父さんのベッドに近付き、布団の上に積まれているパジャマに気付いた。
「あら!新しいパジャマですか?お嫁さんが買ってこられたの?」
 美人看護師はそう言いながら今度はお母さんを振り向いた。
「はい。たくさんあった方が安心ですものね」
 お母さんはにっこり笑って応える。
「そうですよねー!速乾シワにならないなんて、最高ですね!色目も素敵ですしお似合いですよ!趣味いいですねー!」
「いやまぁ、こだわってる訳じゃないけどね。ある程度自分に似合う物は心得てるよ」
 お父さんが偉そうに応えた。ついさっきこんな安っぽ、まで言ったくせに。

 その後看護師は手早く処置を済ませて、明日の手術までのスケジュールをざっくり教えてくれて、それではこちらにお越し下さい、と当然のようにどこかに案内しようとした。
 どこに?と訊く前にお母さんが心得たように看護師についていく。どういうこと?とお母さんに訊くと、先生の説明があるんだと思うわ、と微笑んだ。
 そしてその通り、ナースステーションに担当医がいて奥の面談室に案内され、心電図やレントゲンを示されて説明を受け、手術の意義や方法や危険性や術後の予測などを説明してくれた。
「比較的症状が軽度で手術も大きな物ではないですから、回復も早いです」
 先生はにっこりあっさり、そう太鼓判を押してくれた。
 回復も早い?
「入院期間はどのくらいになりますか?」
「予定では後二日、遅くても一週間ほどかと思いますよ」
「え?」
「その後は定期的に通院していただくことになります」
「一週間ですか?」
「そこまで掛かることはまずないと思いますよ。日帰りされる方もいらっしゃいますし」
「日帰り?」
「身体に負担の少ない治療ですのですぐに日常生活に戻ることができます」
「では一ヶ月入院なんてことは、」
「一ヶ月はないですね。バイパス手術でもそんなに長くなることは少ないですよ」
 と言うことは。
「来週早々には退院ですか?」
「そうなると思います」
 と言うことは、パジャマ三着なんかいらなかった?

「ですので、手術は明日の午後です。ご家族どなたか一名で結構ですので、お越しください」
 え?とびっくりして先生の顔を凝視したのだけれど、それと同時にお母さんが応えた。
「はい。何時から開始ですか?」
「手術自体は午後2時を予定していますが、患者さんにはその前から準備がありますので早めにお越しいただいた方がよいかも知れません」
「何かお手伝いすることはあるんでしょうか?付き添いを望んでいないようなので嫌がるかと思うのですが」
「いえいえ、ご家族のお手を煩わせることは一切無いです。それでしたら、まぁ30分前くらいにお越しいただければ麻酔の時間になると思います」
「はい。そういたします」
「手術は1時間前後を予定しておりますので」
「そうですか」
「以上です。ご質問があれば」
「いえ。お任せいたしますので、よろしくお願いいたします」

 一礼してお母さんが立ち上がったので、僕も続いて立ち上がり部屋を辞去する。
 しかし僕はまだ驚いたままで、お母さんに訊こうとしたらさっきの美人看護師に呼び止められた。

「明日いらっしゃってもし病室にいないようでしたら、こちらにお声掛けて下さいね。今日の明日なんて大変ですものね、無理なさらないでください」
「お気遣いありがとうございます。そうさせていただきます」
「先生もおっしゃってましたけど、難しい手術ではないですから。ご心配なさらずにお待ち下さい」
「ありがとう」
「そんなに珍しくないです。お舅さんの付き添いにお嫁さんが来て、確認だけされて帰られます。それで充分ですのでね!」
「……え?はい」
「それじゃ明日お願いします!」
「よろしくお願いします」

 なんだか色々よくわからないまま挨拶をしてナースステーションを出た。
 しかし、徐々に気付く。
 つまり、つまりつまり、看護師がお母さんを「お嫁さん」と呼んでいたのは、「お父さんのお嫁さん」じゃなく「舅とお嫁さん」つまり「舅とその息子の妻」と言う意味だったのだ!つまりは、僕とお母さんを夫婦と見なしていた!
 という小さな喜びは置いておいて。

「お母さんが来るの?明日」
「そうする。他に誰もいないものね」
「そんな急に、お父さん付き添いいらないって言ってたのに」
「だって手術だもの。心臓だし。万が一ってこともないとは思うけど一応は誰かいなきゃいけないの。だからきっと私たちを呼び出したのよ、あの人」
「あの人?お父さん?」
「そう。家族を呼ぶように先生に言われたのよ。でもお姉さんも調子悪いって言ってたから、あなたに電話したの」
「でも手術のことも付き添いのことも全然言わなかったよ?」
「わざと、……ってこともないわね。多分、どうでもよかったのよ」
「どうでもよかった?」
 そこでお母さんが立ち止まり、僕を見上げて薄く笑って言った。

「だって、入院の第一目的はあの看護師さんだもの。そのために手術するわけじゃないだろうけど、長く入院してあの看護師さんにお世話してもらいたいだけで、家族の付き添いなんか元々お断りなの」


 バレてる。すっかりバレてるよお父さん。


「でも、お陰で心臓手術だっていうのにあんなに元気で楽しそうだし、泣きつかれるよりずっとマシ」
 そう言ってまた歩き出す。
「明日は、用事はなかった?大丈夫なの?」
「うん。明日どうしてもっていう用事はないわ。銀行は午前中で済むし、区役所はまた別の日にできるし、荷造りは夜したらいいんだし」
 そしてまた僕を見上げる。
「大丈夫よ」

 お父さんの浮気性はもうお父さん自身が隠さなくなったしどうやらその前からお母さんは知ってたようだしほとんど一緒に生活したこともないのに娘たちもなぜか昔から当然のように疑っていた。だからこそ家族はお父さんに冷たいのだろうけれど、こんな時には配偶者の義務が発生する。
 病気のことだからしょうがないとは言え、別の意味でしょうがないお父さんが情けなく申し訳ない。

「ごめんね」
 つい謝った。
「どうして謝るの?」
「だって僕のお父さんだから」
 そう応えると、お母さんは笑った。



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