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夫が浮気をしている。離婚してやる。
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 夫の帰宅が遅くなった。
 夫の休日出勤が増えた。
 夫のネクタイが増えた。
 夫の私服の趣味が変わった。
 夫がスマホをロックするようになった。

 夫が、最近中途入社してきた女子社員の文句を言わなくなった。


 今夜も遅くなるとメッセージが来た。食事も同僚たちと取るからいらないと。
 だからいつものように一人でご飯を食べて一人で先にベッドに入った。

 遅くに夫が帰ってきた。
 着替えてシャワーを浴びてベッドの私の横に乗り、電気を消した。
 じきに夫の寝息が聞こえてきた。

 寝室は真っ暗だ。
 寝ていなかった私は、そっと起き上がった。
 ベッドボードに置いてあるスマホを起動して、その小さな明かりを頼りにベッドを降りて夫の側に回って夫のスマホを取り、寝ている夫の右手親指を摘まんでそのロックを解除した。

 黒に近いグレーを、黒じゃないと確認したかっただけだ。
 グレーなのだと、無神経な夫がたまたま疑わしいことを続けただけのことだと、確認したかった。

 しかし開いたアプリは、真っ黒だった。
 相手の名前は、そうじゃないと信じたかったが半ば予想もしていた、中途入社してきた女子社員だった。

モネ『今日はありがとう!(スタンプ)美味しかった!(スタンプ)(スタンプ)ごちそうさま!(スタンプ)』
夫『(スタンプ)(スタンプ)』
モネ『明日は?(スタンプ)』
夫『ランチ?』
モネ『この前のところ!(スタンプ)』
夫『OK!(スタンプ)二人きりでネ!』
モネ『(スタンプ)(スタンプ)』
夫『(スタンプ)』
モネ『週末楽しみ!(スタンプ)』
夫『(スタンプ)』

 私はベッドの横で床に座ってそれを見ていた。だから倒れずに済んだ。
 だけど体が震え、呼吸が激しくなり、そのせいかすぐそばで寝ている夫がごそごそと動いて、私は驚いて口を押さえて必死に動きを止めた。その後また夫の規則的な寝息が聞こえてきて、私はまたスマホを見た。
 とりあえずそのページを写そうと自分のスマホを持ち上げたけど、手が震えて上手くいかない。意を決して充電ケーブルを外し夫のスマホを掴んでそっと立ち上がり、ドアを開けてリビングに入りドアを閉め、奥のキッチンまで足音を立てずに進み、電気を点けて調理台の上に置き、震える両手に力を込めて自分のスマホでそのアプリ画面を何枚か撮った。
 夫がこんなスタンプをこんなにも持っていてこんなに乱用してるなんて。いい年してみっともなくばかばかしいほどラブラブなやり取りが続く。吐き気を覚えつつも最後までざっと見た。いつが始まりか知りたかったから。

 待ち合わせのやり取りが何度かある。休日に二人で出掛けたようだ。震える指でスクロールし、覚悟して探した。証拠になるような言葉があるかと。すでに深い関係にあるのかと。
 しかし遡るほどに当然ながらどんどん他人行儀な言葉遣いになっていく。そして始まりまで来てメッセージが途切れた。
 ほぼ一ヶ月前。
 この流れだと、確信はないけれど、一線は越えていない。収まらない吐き気を堪えながらも、それだけは少しほっとした。

 次にアルバムを開いてみた。まさかと思ったが、ツーショットがあった。
 インスタ映えで人気の隣県のアウトレットパークのシンボルモニュメント前にて。トナカイの角のついたカチューシャを被って満面の笑みの夫と、その夫に顔を寄せるようにしてにっこり微笑む赤いマントを羽織りサンタの帽子を被った若い女子の自撮り写真。
 恐らく間違いなく、これがモネ。
 早くもクリスマスイベントを始めたとテレビのニュースで見た覚えがあった。ハロウィンが終わったと思ったらもうクリスマスか、気が早いな、と笑ったのは夫だった。鼻で笑ったはずの夫がいち早くそこでばかばかしい衣装を借りて記念撮影をしていた。

 夫のこんなはしゃぐ様子を、私はずいぶん見たことがなかった。
 そして隣にいるサンタが自分じゃないことが、不思議な気がした。

 その時吐き気が強くなった。
 それを押さえるために息を止めて何枚かまたスマホで撮り、アプリを全部閉じてカバーを閉めた。口を押さえたまま少しずつ少しずつ息を吸いながら寝室に戻り、夫のスマホをベッドボードの元の位置に置いてケーブルを繋ぎ、それからトイレに駆け込んだ。


 胃の中の物を全部吐いた。


 そして私はベッドに戻った。
 夫を叩き起こして責めたかったが、絶対シラを切ることは目に見えている。それに言える言葉が思いつかないし、絶対泣いてしまうと思ったから、そのまま夫に背を向けて布団を被った。

 寝られなかった。

 胃が痛み、目が冴え、涙が溢れる。
 どうしてこんなことに、なぜ私がこんな目に、何が悪かったと言うのだろう、何を間違ったのだろう、どうしたらいいのだろう、ぐるぐるぐるぐるそんなことを考え、寝られない。

 どうせ寝られない。
 私はスマホを取った。
 夫に背を向けたままネットに繋ぎ、探した。

『夫、浮気、対処』

 入力するとずらりとサイトが並んだ。弁護士のアドバイス、探偵の探し方、体験談のまとめ、進行形のブログ、次々と開いてみた。
 それを見ているうちに、落ち着いてきた。様々な対処法を知ることが出来たこともそうだが、同じ体験をしている人が世の中に溢れていることに励まされた。
 自分一人じゃない。ここにたくさんの先輩たちがアドバイスしてくれていて、同じ敵と戦っている同士がこんなにも一緒に苦しんで泣いている。
 私は一人じゃないのだ。
 出来ることを重ねていけば明るい未来は開けてくるはずだ。



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 翌朝夫は、普段通りに起きて普段通りに朝食を食べ、普段通りにスーツに着替えて出勤した。
 私が一晩中寝られず朝から青い顔をしていることにも気付かなかった。
 そして私も着替えて出勤した。


 夫とは結婚二年目同い年の33歳。
 結婚式で「出会いは友人の紹介」と紹介してもらったが、つまりは合コンで知り合った。互いに可も無く不可も無く付き合って1年でプロポーズされてその後1年で結婚。それから2年で夫が不倫。

 サンタの帽子を被ったモネは、私より若く私より可愛いかった。
 長い茶髪の先をゆるくカールさせ、マントを羽織った肩も小さく、長いツケマに縁取られた大きな瞳を真っ直ぐ向けて、笑う小さな口から覗く歯も真っ白で、帽子を押さえる指も白くて細く、ペンを持つこともできないと思われるほどにゴテゴテデコられたネイル。いかにも今どきの若い子。
 ただ夫は、ずっとモネの無能ぶりに呆れていてグチを言っていたのだ。どうしてあの程度で採用されたんだろう、多分顔で採ったんじゃないかな、男好きする感じだしさ、いつか問題起こしそうだよ、そんな評価をしていた相手だった。いつか上司と不倫するよと。
 そんな夫が、こんなことに。ミイラ取りがミイラになった。そういうことか。

 モネに比べたら、私はブスでデブでババァだ。特別ブスでデブではないが、たるんでいるし十人並みより劣るレベルだと自覚している。
 しかしはっきり言って夫も私と同じレベルだ。チビでデブでジジィでそろそろハゲだ。だからこそ釣り合いが取れていると思った。
 十人並みより劣るとしても、仕事もしている、タバコもギャンブルもやらない、派手な趣味もない、なにより優しい。

 僕ら地味だけど、地味なりに細く長く幸せに暮らしていけると思うんだ。いつまでも二人で一緒にいよう。それがプロポーズだった。

 嘘だったんだ。
 華やかな相手が出来たら、簡単にそっちに寝返るんだ。
 私と結婚したのは、ただの成り行きだったんだ。

 そう思ったらまた泣けてくる。そろそろ子供が欲しいと話していたのに。私の職場は産休制度がしっかりしているからむしろもっと早くてもよかったぐらいだ。昨今問題になってるから、今のうちに保育園がある所に引っ越したいね、とマンションや戸建ての購入も考えていた。
 そういえばそんな話もしなくなっていた。そもそも夫が家に帰らなくなっていたのだから。

 また泣けてくる。しかし前に進まなきゃ。
 別れるにしてもそうじゃないにしても、まずは証拠を保存することとネットの先輩たちがアドバイスしてくれていた。同時に自分の気持ちを整理すること。後悔しない道はどっちなのか。そして早まらないこと。いきなり夫に証拠を突きつけて責めることは何より最悪。
 そもそも夫の場合、いくらでも言い逃れできる観光スポットでのツーショット写真と、一線を越えていない雰囲気のラブラブチャットしか残していない。不倫の証拠にはなり得ないし、むしろそれを持ち出すことはロックしているスマホを勝手に解除しプライバシー侵害をした私の方が罪を負う。

 まだその時じゃない。
 待とう。
 それに、このまましばらくして別れるかも知れないし。あっさり戻ってくるかも知れないし。
 焦っても何もいいことはない。と先輩たちも散々繰り返してた。
 焦っちゃだめ。
 少しずつ前に進もう。


 そう自分を鼓舞していたのに、金曜の朝夫はあっさりと私の顔も見ずに宣った。



「明日から一泊の出張だから。朝早くに出るよ」



 明日から一泊?土日?休日出勤すら珍しい職場で土日に出張?
 仕事?本当に仕事?誰と一緒?
 絶対、モネと二人で旅行だよね。一線越えるよね。
 まだ焦っちゃだめ?
 引き留めていい?不倫旅行に行くんだよねって突きつけていい?

 迷って迷って、口にできなかった。
 夫は私の返事も聞かずに出て行った。


 どうしたらいいの。
 私はそこにうずくまった。
 もう涙は出なかった。



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 出勤しても当然仕事にならない。自分の席でぼんやりして、手洗いに立って個室に何十分も籠城して、同僚や上司が気に掛けてくれたけど無理に笑って何も言わなかった。
 でもお昼には限界に達し、ランチの誘いを断って私は一人でカラオケボックスに駆け込んだ。その小さな密室で、外に声が漏れない誰にも聞かれる心配のない場所で、電話で思いつく限りの相手に相談するつもりだった。

 まず高校時代の親友に掛けた。
『やだ久しぶりー!ちょっと聞いてー!うちの子さー、まじ天才!寝返り打ったんだよ?すごくない?この前生まれたばっかのくせにさぁ!動画撮ったの見る?てかFB見てよ!』
 次に大学時代の親友に掛けた。
『何々?どーした?元気?私ねー、この前の連休にニューヨーク行っちゃったよ!全然用なんかなかったんだけどさ!ね、国連見てきたんだけど写真見たい?てかインスタ見てよ!』
 次に母に掛けた。
『まぁ、元気?たまには帰って来なさいよ。お兄ちゃんとこのリョウ君がこの前駅伝に出たのよ!あんなの何が面白いのかしらと思ってたけど、孫が出ると違うのね!現地で応援したのよ!ビデオ見る?』

 それ以上誰にも掛けなかった。こんな幸せな人たちに私の惨めな不幸話はできない。
 世の中で不幸なのは私一人なのだと思った。涙も出ない。
 会社に戻ろうかと一度立ったけど、まだこの部屋の利用時間は後30分も残っていた。
 夫の不倫に加え、その自分の不幸をみんなに見捨てられたような気がしていた。ネットの中にいた仲間たちは所詮なんの力にもならなかった。リアルの知り合いもみんな頼れない。

 今どん底かな、と思った。
 どん底なんだ、と思ったら、歌でも一発歌ってやろうと思った。
 どん底の歌を歌ってやれ。
 そう思い、テーブルの上のタブレットで中島みゆきを探した。

『ファイト!』を歌った。
 続けて5回歌った。
 一回目から、涙が溢れた。
 号泣しながら5回歌い上げた。

 そしてファイトを貰った。

 目を真っ赤にして、まぶたをぼんぼんに腫らして、直したメイクで真っ白の顔で私は会社に戻った。相当すごい顔なのに、誰も笑わなかった。笑われると思ったのに。戦う私を笑うのは戦わないやつらなんだと意気込んでいたのに。むしろ心配された。なにかあった?どうしたの?大丈夫?仕事ちょっと引き受けますよ?なんて言われて、嬉しくて笑った。
 ありがたいなと思った。ここに居場所がある。私は職場に恵まれた。

 ただ結婚には恵まれなかった。
 それだけのこと。
 みゆきを5回歌う間に気持ちが固まっていた。

 離婚してもいいや。
 私だけを見ない男なんかいらない。
 離婚したって私は何も困らない。結婚するとき仕事辞めなくて本当によかった。例えば一生独身だって食うには困らない。


 今日は一人で飲み歩いてやる!朝まで飲んでやる!
 どうせ夫は私を心配なんかしない。どうせモネとの不倫旅行で頭が一杯だ。心配したってかまうものか。朝まで心配したらいい。心配したってどうせ不倫旅行に出掛けるんだろう。
 ばかみたい!夫なんかいらない!男なんかいらない!
 離婚してやる!


 午前中とは打って変わって晴れやかに颯爽と仕事をこなす私を周囲がどう見ていたかは知らない。ただ仕事明けには、夕食一緒にどう?とか、この後飲みに行かない?とか、何でも聞くよ?という誘いが何件かあった。
 ありがとう、と笑って全部遠慮した。夫と待ち合わせなの、なんて嘘ついて。
 大嘘だ。今夜夫はどうせモネと待ち合わせて明日の予定を立てながらどこかのレストランでディナーでもごちそうしてる。それがわかってて一人で家で簡単にご飯を済ませるなんて割に合わない。だから私が私にごちそうしてあげる。

 同僚たちとも夫たちとも顔を合わせたくなかったから、会社の近くや飲み屋街は避けて地下鉄で帰りの逆方向の何駅目かで降りた。そこを出てすぐの居酒屋にまず入り腹ごしらえをした。
 ジョッキでビールを頼み、自分で作ったら面倒な料理を次々頼む。しまほっけあぶり焼き、ホタテバター焼き、めかぶ豆腐、フカヒレ姿煮、エイヒレあぶり焼き、海鮮サラダ、たこのアヒージョ、まぐろ、ししゃも、鯛、鮭。
 夫は海産物嫌いでそれに合わせて私は毎日肉中心料理を作っていたから、ここぞとばかりに魚を食う。こんなにも好きな魚を私は2年も我慢していたのだとほっけを口に入れて気付いた。これからは自由に魚を焼ける。丸一日部屋が臭くても文句を言われずに済む。それはそれできっと幸せだ。
 そう思ったのだけれど、涙が落ちた。
 今頃夫はモネと二人でホテルのレストランにでもいるのかも知れない。私がめかぶでべとべとになっているこの瞬間に一口サイズのフォアグラでも口に入れているのかも知れない。
 そんなの知らない関係ない私は魚の方が好きなんだタコの方が100倍美味い、と涙を拭いた。


 すっかりお腹いっぱいになって体も温かくなり、勢いで次の店を探した。
 次こそお酒の店。一人で入るのは初めてだから、入りやすくてなるべくなら小さなお店がいい。おしゃれなカクテルが揃っててイケメンな店員さんがいたらなおいい。そんな適当な希望を並べながら適当に小道を曲がると、そんな感じの小さなバーがあった。5台分程度の駐車場があってその向こうにブラウンの建物。エントランスの大きなガラス窓から見える店内のライトがキラキラ光って明るい。
 いい感じー、と浮かれた気分でドアを押すとちりんと鈴が鳴り、いらっしゃいませ、と中からドアを引いてくれた店員さんがさっそくイケメンだった。短い茶髪で片っぽピアス。冬なのに日焼けしていて笑った口元の歯が白い。全く好みではないけどイケメンだわ。絶対趣味はダンス系。とか分析しているうちにドアが閉まった。
「コートお預かり致します。お一人様ですか?カウンターでよろしいでしょうか?ご案内致します」
 イケメンに見惚れて一歩入っただけで、客認定されて流れるように店の奥のカウンター席に座ることになってしまった。

 中に入ると薄暗い店で、壁に付いてる間接照明と天井に取り付けられたレールに所々付いている小さなライトがそれぞれのテーブルを照らすだけ。キラキラ明るかったのは入り口のチェッカーカウンターのライトだけだった。
 それと、カウンター正面のグラス棚。グラスにライトが当てられてキラキラ光を反射している。そしてその前に立つバーテンさんが超イケメン。黒髪眼鏡が知的で目元は涼しげな切れ長、意思の強そうな引き締まった口元。ものすごく長身でシェーカーを持つ指がめちゃ長い。その後ろでグラスがイケメンを彩るようにキラキラ光る。
 高いスツールに腰かけてすぐに目を奪われてぼんやりと見つめてしまった。そのイケメンバーテンがちらりと私を目視し、二言だけ言った。
「いらっしゃいませ。ご注文は」
「ビール」
 その低い掠れた声にまたうっとりしながら、私はうわごとのように反射的に返した。
「ビール。どちらのブランドですか?」
 イケメンはそう言いながらメニューを指で押してきた。見るのが面倒だったのでイケメンを見たまま訊いた。
「お薦めは?」
「ラガー」
「じゃ、それ」
「はい」

 そう応えるとイケメンは後ろの棚から細長いピルスナーを取り出して、カウンターのすぐ手前に出ているサーバーの綺麗にカーブした金色の吐水口の下に当てた。簡単な動作ではあるけれど全く無駄が無い。グラスの位置も自分の歩幅もサーバーとの距離も全て把握していて、結果効率的に動けるのだ。
 どうぞ、とコースターの上に静かにビールを置いてもらい、ありがとうと返し一口飲む。
 イケメンの上にデキるバーテン。天はたまに二物も三物も与える。ただものすごく無愛想で、客の質問への返事もほぼ一言だしたまに無視している。よくこれでバーテンが務まるものだなぁと観察していると、どうやら客もそれに馴れているようで構わないらしい。
 こんなお店もあるのねとか感心していたら、急に入り口付近が騒がしくなった。新たな来客のようだ。

「こーいちー!まだいるー?」
 甲高い大声が響いた。
 賑やかだな、と振り向くと、なんだかまぶしくて目が眩んだ。



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 本当に眩しかった。
 カウンターに向かって駆けてきたその人が目に刺さるような真っ白なダウンジャケットを着ていたせいだけじゃなく、驚くほど美しい女性だったから。
 真っ直ぐな茶色の髪は短めで、小さな白い顔。大きな茶色の瞳に長い睫、作り物のようにすっと通った鼻と濡れているようなピンクの唇。薄暗い店内で彼女だけにスポットライトが当たっているように眩しい。
 輝くように美しいって言葉って、リアルな表現だったんだと初めて知った。まるで発光体のように眩しい。本当の美ってこんなに眩しいんだ。
 このバーに入ってよかった。別次元の別世界に来たようだ。

 とうっとりしていたら、その美人の彼女が私の隣の椅子に腰掛け、さっそくイケメンバーテン君に声を掛けている。
「間に合ったー!まだ上がってなかったね、コーイチ!ビールちょうだい!」
 コーイチ。呼び捨て。もしかして二人はカップルなのかも。なんて美男美女。とまたうっとりとバーテンに視線を動かしたら、なんと彼の方は超絶に不愉快そうに顔を顰めて美女を睨んでいた。

「……今日は金持ってきてるのか」
「あるよー!今日は持ってきたよー!ビールっ!」
「本当だな?」
「本当ー!」
 そんな会話の後、顔を顰めたままバーテンは棚のピルスナーに手を伸ばした。お客様に対して甚だ無礼な態度ではあるけど、俗に言うケンカップルってやつなんだろうな、若いなぁ、とまたうっとりしてしまう。そこに後ろからさっきの茶髪のイケメンが美女を呼んだ。
「秋ちゃん。上着預かるよ」
「あ!ありがとー!」
 美女が振り向きぱっと微笑む。それだけで、光が差すように花が咲くように、彼女が輝く。
 ダウンジャケットを受け取ったイケメンもほんのり頬を染めて嬉しそうに笑う。

 私もつい笑ってその様子を見ていた。
 綺麗だなぁ。
 見た目が綺麗って、周囲を幸せにするものだなぁ。
 羨ましいなぁ。
 と微笑みながら、ケンカップルの会話を聞いていた。

「ちょっと聞いてー!今日の実習でさー!」
「はいビール」
「ありがとー!って、ちょっと少なくない?」
「少なくない」
「まぁいっか。それでねー!実習のね、って聞いてって!」
「聞いてる」
「こっち向いてよ!」
「忙しい」
「あ!ついでにつまみのナッツちょうだい!」
「品切れ」
「嘘だ!そこにある!」
「これは取り置き」
「店長に訊くよ!」
「訊けよ」

 バーテンはカウンターで美女にほぼ背を向けて冷たくあしらっている。その様子を周囲のみんなが笑って見ている。きっと常連の彼女。きっと恒例の景色。きっと美男美女カップルのいつもの言い合い。
 いいなぁ。美しく幸せなカップルの賑やかな楽しげな日常。美しいということが、幸せを運んでくる。
 私の隣で微笑む彼女は、とても美しい。

 モネよりもずっと美しい。サンタの帽子を被ってカメラ目線で笑顔で決めていたモネよりも、ずっと。もちろん私よりも。

 酔った頭でそんなことを考え、微笑みながら美人の彼女の顔を見ていた。
 するとその視線に気付いた彼女が、はっと私の方を向き直った。
「どうしたの?」
 さっきまでバーテンと楽しそうに言い合いしていた彼女が、急に心配そうに私の頬に手を伸ばした。驚いて体を引いたけど、彼女の指が目尻に触れた。

 それで気付いた。
 また涙が零れているらしい。

「あ、やだ、なんでもないです、ドライアイで、」
 慌てて笑って右手で涙を拭う。
 すると彼女もほっと笑って、ぽろっと軽口を続けた。

「そうなんだ。てっきり彼に振られて泣いてるのかと思った」

 ふふ。実は。
 そんな風に笑って冗談で返すつもりだった。
 だから笑顔を作ったはずだった。

「え、え、あ……!ごめん!ごめんなさい、あなた、」
 彼女が急に血相を変えて謝ってきた。
 それにも驚いてまた彼女を見上げると、彼女は私の左手を凝視していた。
 それからまた私の頬の涙を拭って、囁いた。

「……結婚、してるんだね。それじゃ、彼氏、じゃなくて、ご主人?」


 私の結婚指輪を見て。
 笑いながら泣いている私を見て。
 それだけで初対面の彼女に見破られた。
 初対面の美しい彼女に。

 彼に振られたのではなく、夫に裏切られたのだと、気付かれた。

 その途端、また涙が溢れた。止める間もなかった。

「ああっ、ごめん!コーイチ、ティッシュとかハンカチとかちょうだい!早く!」
 溢れる涙を諦めてうつむくと、上から慌てた声が聞こえる。
「ごめんね余計なこと訊いて。憂さ晴らししてたとこだった?なにか食べる?ここナッツ美味しいんだよ」
 それさっきバーテンは無いって言ってた。
「ね、コーイチ、ナッツ。あ、ほら出せるじゃん!取り置きなんて嘘じゃん!嘘つき!」
 出したんだ、ナッツ。意地悪なバーテン。可笑しくてつい笑った。
「ごめんね、これで拭いて、……ってこれ台拭き!ごめん間違った!」
 ああもうひどすぎ。私は声を上げて笑い出してしまった。



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