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お父さんが誰かに脅されているようです。



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 12月の頭に、真姫の子供が生まれた。
 秋ぐらいまでモモちゃんと呼んでいたお腹の子は、その後の検査で男児だとはっきりしたので急遽男児の名前を捻り出した。
 先に次女を出産した従姉には大層羨ましがられたらしく、悔しいけど勝頼という名前を使ってもいいという親切な申し出があったようだが丁寧に断ったらしい。さすがに長男に馴染みのない武将のような、実は現役トップレスラーと同じ名前は付けない。
 しかしとあるトップアスリートの名前をもらおうとしていたので、断固反対した。現役選手は今後どう評価が変わるか分からないし、彼がこのままの天才地位を維持したとしても赤ん坊が名前負けするだけだ。
 僕がそう力説すると高橋が速攻で折れた。
 でも、ちょっとはそのゆかりの漢字を使いたいということで、「ユウキ」という名前に決まった。
 漢字で「結生」


 ……まぁ、名前は親からの最初のプレゼントなので僕にはこれ以上何も言えない。
 所詮僕は、お祖父ちゃんなので。


 高橋は相変わらず海外に単身赴任で、さすがに長男誕生直後には戻ってきたが顔を見ただけでとんぼ返り。
 真姫と結生は当然のように僕の家で暮らしている。
 僕の家というかお父さん名義のマンション。
 まだ名義を変えてくれていないんだけどいい加減にして欲しい。
 贈与税の問題もあるから早めに手を付けて欲しいのだけれど。

 なんてこともどうでもよくなるぐらいに、赤ん坊は可愛い。本当にこの子は可愛い顔をしている。
 なぜか果維に似ていて、つまりお母さんに似ていて、美形。
 将来が楽しみだね、と僕は飽きずに毎日赤ん坊を眺めている。
 お母さんと。

 孫が可愛いのは、手間は全部親である真姫に押し付けられるから。
 お母さんは心配そうにいろいろ手を出してるけどね。
 でも基本僕ら祖父母は可愛い部分だけいただいてる。
 真姫が疲れ果てて寝ている間に結生がご機嫌だったりすると、真姫に悪いなぁと思いつつその柔らかい頬に頬ずりしたりして育児を満喫したりする。


 年末にまた高橋が戻ってきて赤ん坊を見に来た。
 一人前におむつを替えてみせたりしてイクメン振りをアピールしていたが僕は認めない。
 なにしろ、その後自宅に戻った高橋から真姫に電話が来て、ろくでもないことを言いだしたからだ。
 年末に結生を連れて高橋の家に来いと、年始までここで過ごせ、と。新年を男親の家で迎え親兄弟に長男をお披露目するのは当然だと。

 もちろん断固反対。
 真冬の寒い最中にこんな生まれたての赤ん坊を外に出せるか。
 と、僕が一刀両断すると、高橋がぐずぐず言い出したようだ。真姫が通話内容を中継している。
「赤ちゃんは生まれたばっかりの方が案外丈夫だって聞いたって、」
「誰がそんなこと言ってるんだ?」
「誰がそんなこと言ってるの?……お姉さん?」
「姉?姉に生まれたばっかりの自分の子供の命を差し出してもいいと思ってるような男とは離婚したらいい」
 そこまで言ってから、真姫の携帯を取り上げて高橋に告げた。

「高橋。緑の紙はもらってきてやる。年内に署名捺印しろ」
 そう言って通話を切った。
 切った途端にまた鳴り出したので、電源を切った。

 和臣君、とお母さんに窘められたが、全然気にしない。
「あんなヘタレの厄介者、いない方が結生のためだよ」
「お父さんじゃないの」
「どうせ高橋に全然似てないし、あんなお父さんならいらないよ」
「そんなこと言わないでよ!」
 真姫が怒って僕から携帯を取り返し、電源を入れる。
 すると速攻で鳴り出し、タップした途端にとんでもない騒音が響いたので驚いた真姫がその携帯を床に落とした。
 音源が床の上まで離れてやっとその騒音の正体に気付いたが、電話の向こうで高橋が号泣している。

「ほら、和臣君が意地悪言うから高橋先輩泣いた」
 美姫が笑っている。
 そして、その泣き声が聞こえたのか結生も泣きだした。
「あーあ。高橋が結生泣かせた。こんなお父さんいらないよねー」
 僕がそうあやしながら結生を抱き上げると、お母さんに叱られた。
「だめよ。赤ちゃんだってちゃんと聞いてるんだから。パパの悪口言ったら結生に嫌われるわよ、和臣君」
 そんなことを言われ、むっとする。

「年末年始は来なくてもいいから、僕が泊まってもいいかって。結生と一緒にいたいんだって」
 携帯を拾った真姫がまた高橋の電話を中継する。
「うちに泊まる?結生と真姫の部屋で?」
「気持ちはわかるけどそんな甘いものじゃないよね。夜だって寝られないよね」
「でもパパなんだし、いいんじゃない?」
「何日保つと思う?」
「一日」
「一日」
「一日」
「だよねー」


 そして高橋は次の日早速泊まりに来て、全員の予想通りにその次の日にギブアップして帰って行った。
 やっぱりヘタレだった。



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 新年になり、高橋一家が挨拶がてら結生の顔を見に来て、三が日が過ぎ、そろそろ休暇も終わりそうな頃。
 部屋でPCをいじっているところに急にお父さんから電話が来た。

『和臣。ヒマか?』
「……あけましておめでとう」
『ん?ああ、おめでとう。それでヒマか?』
「……ヒマって、今?いつのこと?」

 新年早々挨拶も抜きに相変わらず自由な人だと呆れていたが、次の言葉に絶句した。



『明日見合いしてくれ』



「……」
『頼んだぞ。場所と時間は、』
「ちょっと待って。見合いって何?」
『知り合いのお嬢さんから是非ともお前と結婚を前提にお知り合いになりたい旨の申し出があった。よろしく』
「なにそれ!」
『お相手は妙齢の女性』
「誰!僕が知ってる相手?!」
『うーん……。あまり詮索してくれるな。一回会ってくれるだけでいい。断ってもいいから』
「無理!僕結婚する気なんかないよ!」
『しなくてもいいって。断っていいから会ってくれ』
「そんなお見合いないでしょ!」
『まぁまぁ。明日午後1時Tホテル一階カフェラウンジ』
「行かないよ!」
『行ってくれ。頼むから』
「どうしてそんなこと引き受けたの?断れなかったの?」
『断れない筋の依頼で』
「断れない筋って何?お父さんもう退職してずいぶん経つし、なんのしがらみもないでしょ」
『あるんだよ。親孝行だと思って詮索しないで顔だけ出してくれ』
「親孝行?!」
『よろしくっ!』
「お父さんっ!」
 返事がないままプツっという音が聞こえた。

 とっくに通話の切れた携帯をじっと見下ろす。
 ……なんだった?今、何を頼まれた?
 見合い?お見合い?結婚を前提にお知り合いになりたい?
 明日ホテル一階に行ってくれ?
 行ってくれ?
 僕一人?お父さんは?

 やっぱり訳が分からずお父さんに掛け直すが、出ない。
 何のつもりだ……。まったくもう……。

 意味がわからないので、お母さんに相談しようと部屋を出ようとしたところでまた携帯が鳴った。当然お父さん。


『和臣。お母さんや子供たちにはくれぐれも内密に』
 取った途端いきなりそんなことを言われ、また絶句する。
『それから相手にも私のことを訊ねないように』
「……何、言ってるの?」
『とにかくお前は明日1時にカフェラウンジで顔を合わせて断ってくればそれでいい』
「どういうことそれ?お父さん。理由言ってくれないなら行かないよ」
『行ってくれ。行ってもらわないと私が大変困ることになる』
「どういうこと?」
『……脅されている』
「……え?」
『お前が彼女に顔を見せるだけで助かるんだ。だから頼む』
「脅されて、って、なにを?」
『とにかく明日行ってくれ。行くだけでいい』
「行くだけって、お父さんは?」
『私は行かないよ。若い二人で懇意にやってくれ』
「若い二人?って向こうも一人ってこと?顔もわからないのにどうやって、」
『ああ、向こうが知ってるから行けば合図してくれるだろう』
「だろうって、お父さん、」
『会って適当に世間話して断って帰ってくればいいから』
「なにそれ?本当にどういうこと?」
『いいから!頼んだぞ!』
 そしてまた通話が切られた。
 すぐに掛け直すが、出ない。
 何度も掛けるが出ない。
 じきに電源が切られた。


 脅されている?何を?山で余生を満喫しているだけの前期高齢者がどんな脅迫を受けてるっていうんだ?
 そこそこ資産家だから動産不動産を狙われることはあっても、こんなおかしな条件を引き換えに脅してくる相手の目的って何?
 僕と結婚を前提に?
 本当にそれが目的だとして、どうしてお父さんがそれを呑まなきゃならないんだ?

 ……あ、違うのかな。
 ただ単に僕に見合いをさせたいだけかも。
 普通に見合いしないかと提案されても僕は120%断るから、脅されてしょうがなくなんてつまらない理由つけて強行しようとしているのかも。

 ……でも、いまさら?そんなことなら10年20年前にすべきだと思うけど。


 ……まぁ、いいか。


 短くため息をついて、ベッドに横になる。
 断る予定のお見合いって何を着て行けばいいんだろう。
 そんなことを考えながら天井を見上げる。


 僕はお父さんにとても恩義を感じている。
 他の家族はみんな嫌っているし軽蔑しているようだけど、僕はそうでもない。
 僕はお父さんに感謝している。
 僕の幼少期の完全育児放棄は明らかにお父さんの罪なんだけど、それでもあの鍵のない座敷牢から僕を連れ出してくれたのはお父さんだった。
 あの時の解放感を僕はいまだに覚えている。
 空気の動かない暗い狭い地獄から明るい光の中へと、一歩一歩僕の手を引いて連れ出してくれたお父さんの大きな手を覚えている。
 お父さんには本当に感謝している。

 お母さんを連れてきてくれたし。

 だから、お父さんの奥さんが本当は僕のものだということもお父さんには絶対内緒。
 知っちゃったら可哀想だからね。


 リビングから、結生の泣く声が聞えた。
 慌てている真姫の声と笑う果維の声も重なる。
 このにぎやかな幸せも、お父さんがいなければ僕は何一つ手に入れられなかった。

 お父さんのおかげなんだよな、とベッドを降りて、僕もにぎやかなリビングに向かった。



 というわけで、お父さんの頼みを断れない僕は翌日明るいグレーのスーツで断る予定のお見合いに出掛けた。
 家族には取引先からの呼び出しと言って出てきた。
 せっかくの休日がもったいないけど、顔を出して世間話をして断ればお父さんの顔が立つようだし、まぁいいか。

 時間前にホテルの駐車場に到着し車を降りて、重厚な外観の大仰なエントランスを抜け、件のカフェラウンジに辿り着く。
 広々としたラウンジに低いテーブルと大きなソファが点在する。通路が大きく取られていて個々の席が独立しているように離れている。
 案内に来た係の女性にお一人様ですかと訊かれ、待ち合わせですと応えながら中を見回した。

 すると、奥に座っている一人が手を上げて立ち上がった。
 あ、あれかな、とよく目を凝らして見た。
 すぐに見間違いかな?と思った。
 見間違いじゃないとしても、あれじゃないと思った。
 しかし相手はにっこり笑って会釈した。

「お待ちしてました!オミ先生!」

 少し、ぞっとした。
 そんな名前で呼ばれる筋合いのない相手だから。

 しかしどうやら、あれが相手のようだ。




 そこで待っていた僕のお見合い相手は、高橋の姉だった。





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「ご無沙汰してました。今日は無理をお聞き頂いて本当にありがとうございます」
 僕がテーブルの向かいに立つと、高橋の姉は改めて一礼した。
「……本当に、あなたなんですか?」
 僕はとりあえずそれを確認する。
「ええ、そうなんです。お父様にご無理を申し上げました!」

 ということは、本物だ。
 ということは、この高橋の姉がお父さんを脅迫しているということ?

「どういうことですか?父に一体何と言って、それに今日の目的はなんですか?」
「ええ、ゆっくりお話いたしましょう!どうぞお掛け下さい!」
 高橋の姉はまたにっこり笑い、僕の後ろのソファを示した。
 高橋姉の前にはすでに飲みかけのコーヒーカップがあり、僕も同じ物を頼むと係の女性が下がって行った。


 高橋の姉は高橋と少し年が離れているが、姉弟だけあって顔に面影があり造作としては残念な部類だ。丸顔でパーツが離れ気味のやや間抜け系統。背は高い方だが多少太っている。
 そして印象的なのが、やたらと長く伸ばした真っ直ぐで豊かな黒髪。
 結婚式では和服だったせいもあり纏めていたし、何度か会った際にも一つに縛っていたのだが今日は流している。
 この艶やかな黒髪のボリュームは顔の欠点を補って余りあるな、と僕は感心していた。
 世の中にはその黒髪に惚れる男だっていなくはないんじゃないか?
 お見合いならそういう望みのある相手を探すべきだし、そもそも結婚願望を持つ相手を探すべきだろうし。

 とりあえずそんなところを提案しようかと口を開こうとしたら、先に高橋の姉が話しだした。

「早速本題に入らせていただきますけど、昨年弟が結婚して、結生が生まれて、両親も祖父母も親戚一同もみな喜んでるところなんですが、そのせいというのもなんですけど矛先が次に私に向いてきているんですよね」
 僕は黙って聞くことにした。
「確かに私ももう30を越えましたが生まれてから今まで一度も彼氏ができたことがありません。そんな私に早く結婚しろとか孫の顔を見せろとか言うんです」
 よくある話なので依然黙って聞いているが、次に話は急転換した。


「単刀直入にお伺いします。お兄さん、……あ、うちの智倫がオミお兄さんと呼んでいるのでお兄さんと呼ばせていただきますが、お兄さん、ゲイですよね?」


 僕はとりあえずそのまま絶句した。


「結婚式で初めてお顔を拝見して、一目で分かりました。念のため智倫に確認致しましたら、お相手は披露宴の最中ずっと隣に座られていた老紳士だとか。ずいぶん長いお付き合いだとか」


 なにか反論しようと思うのだが、言葉が浮かばない。


「つまりはお兄さん、一生結婚する予定はないのですよね?」


 そうじゃないのだけれど、そう。これをどうやって身振りで示したらいいのかわからない。


「そこで提案なのですが、私と入籍しませんか?」
「待ってください」
 やっと口を挟めた。

「待ってください。今日僕は父からお見合いと聞いてここに来ました。相手が誰かもわからないまま、お断りするつもりで来ました。そもそも父とは、」
「お見合い?お見合いと言ったんですか?雅史?」


 ここで僕はまた絶句した。
 マサフミ、と呼び捨てにした。
 この女は僕の父の名を呼び捨てにした。

 どういうことだ?父とこの女の関係は、いったい何だ?


「あなたには何の先入観も持たせないでここに来てもらうようにと指示したのに」


 指示?!父に?!
 と、依然衝撃を受けたまま絶句している僕に、高橋の姉はちらりと目を向けてそれからほんの少し笑った。
 それがなんだか芝居がかっているように見えた。
 多分、この女は信用できない。僕はそう感じた。

 そこで僕のコーヒーが運ばれてきたので、話を中断した。
 ウェイトレスがテーブルにカップを置く間に、高橋の姉は芝居がかった笑顔のまま横に置いた赤い小振りのバッグを手に取り、その中を少し探る。
 ウェイトレスが立ち去ってから、取り出した名刺入れを開いた。
「実は私、こういう仕事もしております」
 そう言いながら、その大きな花柄の派手な名刺入れから名刺を一枚引き抜いた。
 それが、黒い名刺だった。
 黒地に赤で文字が刻まれている。
 その禍々しい名刺に手を伸ばしながらそれに記されている肩書と名前を読み、つい驚いてそれを受け損ないテーブルに落とした。

 テーブルの上にひらりと着地した黒い名刺に目をやり、もう一度読んでみる。
 何度確認しても、間違いじゃない。
 読み辛いけれど、やはりそうとしか読めない。
 そうとしか読めないけれど、何度読んでも理解できない。



 SM倶楽部「Scarlet red」
    女王  綾羽



 この名刺が今ここにある理由がわからないし、高橋姉がこれを差し出した意味がわからないし、何を示しているのかもわからない。
 唯一推測できるのは、この名刺の示す人物が高橋姉の陰の姿であり陰の職業なのかも知れないということだろうか。
 しかしまさか。
 高橋姉は運送会社の受付事務を長年勤めていると結婚式の時に紹介された。
 こんな職業だとは聞いていない。
 というかこんな職業の人と会うのが生まれて初めてだ。


 と、混乱したまま名刺に釘付けになっている僕に、高橋姉が説明してくれた。


「OLの傍ら、深夜パートで女王を勤めております。家族には内緒です」

 ……そう、なんだ。

「お父様は、わたくしの常連客なんですよ。店では当然わたくしはマスクをしておりますし源氏名ですからお父様はわたくしの本名も素顔もご存じありませんが、わたくしはすっかり存じておりますので、結婚式でお会いしてびっくりしました。下僕が身内になるのは初めての経験です」

 ああ、やはりそういうことなのか。

「披露宴では雅史はずいぶん楽しそうに酔ってましたから、次のプレイの時にはあれをネタにお仕置きしました」

 お仕置きされたんだ……

「ところがさっき申し上げた通り、結生が生まれてから親のプレッシャーがさらに強くなって困り果てまして、あなたを思い出して雅史に会わせてくれるよう命令しました」

 命令……

「下僕との店外での接触はなるべく避けたいので自力であなたとお会いする機会を模索したのですが、年末に智倫が真姫さんに横暴な電話をいたしましたでしょ?あれはわたくしの差し金でした」
「……ああ、」
「あれであなたがうちに怒鳴り込んでくるとか、わたくしを電話で罵倒するとか、そんなことになればわたくしを印象付けられると思ったのですが電話の電源まで切られてしまって」
「……」
「ですから止むを得ず、雅史に店外プレイを命じました」
「店外プレイ……」
「今雅史は自宅で、息子に変態性癖を女王のわたくしによって暴露されているという羞恥に耐えて身悶えているところです」

 ……お父さん……

「雅史のプレイの話はどうでもいいです。本当の本題です。親がうるさいのでそろそろ結婚とか子供とかを考えているところなんです」
「……それなら僕に頼まなくても、普通に相手を探した方が、」
 なんとか話を一般的な話題の常識的な決着に落としたいと思うのだが、無理だった。

「いえ、わたくしにも普通の結婚の意志はないですし、第一普通の相手はまず逃げ出すと思うんですよ。ただでさえ女王ですし。それに一つ白状すると、わたくしも実はレズビアンなんです」




 ああもう……。
 この世はどこまでも広く深い。




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 父御用達のSM倶楽部の女王様が、僕の目の前で艶やかな黒髪を指に絡めて微笑んでいる。この日本人形のような豊かな黒髪、マスクでその高橋似の顔を隠してその肉感的な身体にそれなりのコスチュームを纏って刺さりそうなピンヒールを履きそれなりの武器を携えたら、さぞかしド迫力な女王なのだろうとは思うが、想像したくない。
 そしてレズビアン。
 なにもかも別世界で僕の理解は及ばない。
 もう帰りたい。
 としか考えられない僕に、女王様はまだ話し続けている。


「つまり、わたくしも男性と結婚するつもりはないんです。お兄さんも女性と結婚するつもりはないのでしょう?雅史が嘆いてましたが」
「……雅、……って、父ですか?」
「ええ。雅史はお兄さんのことをとんでもない堅物だと思っているようです。女遊びもしたことないだろうと」

 ……確かに、女遊びをしたことはないです。お父さん。

「雅史の人を見る目もないのでしょうけど、そこまで完璧に男色であることを隠しているのはさすがですね。お兄さん」

 ……それも違いますが。

「そこでです。あなたの両親もわたくしの両親も心配しているようですから、一度入籍しませんか?」
「……その発想の急転換についていけませんが」
「ですから、わたくしとあなたはそれぞれ女と男ですから入籍できるんですよ」
「……どこに入籍する必要があるんです?」
「したくないんですか?!」

 なんだか、応えるのも嫌になる。
 高橋をバカだとは思っていたが、その姉はまるで別の次元の別種の生命体だ。意思の疎通が叶わない。

「一度入籍すれば雅史も安心しますし、うちの両親も安心します。すぐに離婚しても構いませんし、その後子供が生まれたとしてもあなたの子だと誰もが推測します」
「ちょっと待ってください。すぐに離婚してその後出産する予定ですか?」
「ええまぁ」
「……誰の、子供を出産するつもりですか?」
「いえ、おかまいなく。父親には不自由しませんので」
「……」
「あ、大丈夫ですよ!雅史は使いませんから!」

 ……使う……?

「お店には多数美形高身長高学歴高収入のお客様がいらっしゃいますから、選び放題です」
「……客?」
「客と言う名の奴隷ですから、みなさまわたくしの言いなりです」
「……では、奴隷と入籍すればいいじゃないですか」
「ですから。さきほど申し上げましたよね?わたくし、レズビアンなんです。男性と恋愛は致しません」


 ……ああ。言ってた。それで?
 あれ?僕の方がバカなのかな?全然わからないんだけど。


「つまり、一度異性間婚姻の実績があれば、世間は安心するんですよ。その後はわたくしもお兄さんもそれぞれのパートナーと疑われることなく続けられます」

 ……ん?

「お兄さんもゲイであることを隠してらっしゃいますよね?わたくしもそうです。そんな二人が一度結婚して離婚すれば、互いにストレートだと世間に証明できるじゃないですか」
「……ああ」
「ね?!いいアイデアでしょ?!」
「ああ、つまり、同性愛を隠すために戸籍を汚したいと?」
「あら。そんな言い方されるとまるで悪いことみたいじゃないですか。確かに褒められたことではないですけど」
「……別に、いまどき、隠さなくても……」
 そろそろ面倒になったので、ぼちぼち適当にあしらって帰ろうと思う。
「そういうお兄さんだって隠してらっしゃるでしょう?昨今カムアウトする人数は確かに増えましたけど、だからと言ってそういう性癖を拒絶する人数が減ったわけではないです。ご存じでしょう?」
 知りません。
「わたくしには付き合っている彼女がいます。幼馴染なので、もう30年来の付き合いです」
 しまった。身の上話が始まった。
「彼女は今中学の教師です。昔から優秀でしっかり者でずっと頼りっぱなしでいつも一緒で、その彼女が結生の写真を見てとても羨ましそうに、赤ちゃんが欲しいって言ったんです」

 結生の写真?赤ちゃんが欲しい?つまり?
 と女王様を上目づかいに見てみると、その時のことを思いだしているのか若干悲しそうに笑んでいる。
 微笑んだまま女王様は続けた。

「赤ちゃんが欲しいということは、産みたいということだろうし、つまりわたくしと別れたいと言っているのだと思いました」
 そうでしょうね。
「ところがあの子は、別れたくなんかないって言いました。欲しいのはわたくしの子だと言いました」


 欲しいのは、あなたの子。


 その言葉が、胸に刺さった。
 僕は急にその彼女に同情してしまった。
 そんな願いがあるのかと、切ない気分になった。

 同性間での妊娠出産子孫存続は今の所不可能だ。
 不可能な望みを抱いてしまう悲しみ。
 夢の中でしか叶わない望み。
 そんな夢を望んでしまうことは、ある。

 ただ、合理化できない理屈でもない。
 子供がいないことが不幸せでもないし、結婚できないことが不幸せでもない。
 一緒にいられるのならそれで充分なんじゃないかと僕なんかは思っているのだけれど。

 などとちょっと真剣に自分の身にも置き換えたりして考えていたら、またしても女王様は話を明後日の方向に転がした。



「つまりです。わたくしと別れたくない、そしてわたくしの子が欲しい。要するにわたくしに出産して欲しいという意味です。わたくしが出産した子をわたくしと育てたいと、彼女は望んでいるということです」

「……は?」

「ですから。彼女の希望はわたくしが産んだ子供を二人で一緒に育てたいということです。そのためにあなたと離婚して、あなたの子だと世間に推測される子を産んで、ストレートの振りをしてバツイチ子持ちとして彼女と元に二人で子育てしようというのが今回のプランなんです!」



 やっぱりバカだった。
 しかも果てしなくバカだ。やはりバカ高橋のバカ姉だ。
 僕はもう本当に呆れたので、帰ろうと思った。

 彼女が望んでいるのはリアルな赤ん坊じゃない。二人の愛の結晶という夢だろう。そんなことも察せられずによく女王が勤まるものだ。
 お父さん、どうしてこんな愚鈍な女王の奴隷なんかやってるんですか。
 お見合いは決裂です。
 この異次元別種生命体とは話は通じない。

 僕はテーブルの上の伝票を掴んで立ち上がった。
 今日の話は聞かなかったことにします、と言おうとした。


 その前に後ろから悲痛な叫び声が響いた。

「ヒロコちゃん!」


「カエデちゃん!」


 僕の前で女王がそう応え、立ち上がった。



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